大正末期〜昭和の北山田から 第55回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
五十五年完成
買収時の約束は五十五年完成であり、希望を持って参加したがオイルショックとの口実で遅れた。地権利者は五十三年、むしろ旗を立てて、鉢巻、タスキで市役所に陳情した。結果は虚しく、六十二年に延期され、六十五年に再延期となり、また、平成七年に再々延期となり、諦めの心境になる。
この計画は、市・公団が計画し、住民に協力を呼びかけて実施されてきたが、高速鉄道六号線は地元に何の話もなく廃止され、四号線も鶴見から日吉間が廃止され、開通はめどがつかず、実行されなければ買収目当ての計画としか思えない。平成七年度には、民間用地は約束どおり換地になることになっているが、公園・事業用地の完成は、残務整理としてかなり遅れると思う。
四十五才で買収が始まり、六十八才になってようやく民間用地だけは終わるが、鉄道が開通しない限り、完成はない。
バブル崩壊による不動産価値の暴落は、ニュータウンの是非を考えさせられる。区画整理事業は、農地の過酷な労働から解放してくれ体は楽になったが、自然破壊と人情崩壊は精神的に苦痛がともなっている。
人生の長短に関係なく、充実した生涯にしたいものだ。
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