大正末期〜昭和の北山田から 第56回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
区画整理審議会委員選挙
任期五年の審議会委員選挙が行われたのは、昭和四十五年二月であった。
部落で誰を委員に推薦するか、公民館で徹夜の議論が連日行われた。決まった夜は、とうとう朝になり、鶏が鳴きだし明るくなってしまった。
二名の指名があり、部落を二分して票を分けたが、ここで穏やかな農村に亀裂が入ってしまった。
町内に二つの選挙事務所ができ、今まで仲良くしていた者どうしが、対立の立場になり、ささいなことで、中傷しあい監視の目と変わっていった。
選ばれた候補者は、とんだ迷惑をこうむった。選挙事務所には幹部が早朝から深夜まで票読みを繰り返し、部落の全地権利者が運動員となり、遠くは東京、川崎方面の地権利者を探し尋ねて依頼に奔走した。
この選挙は公職選挙法に該当しないというので、他陣営では酒、煙草はもちろん、物品の供与は公然と行われたが、北山田では何もしなかった。
町が二分されたために相手方に押された友人は、深夜事務所に密かに尋ねて来て、公然と激励できぬ立場を理解してくれと、複数で夜毎激励のお酒を抱え、闇に消えていった。
夜になると、各辻に監視人が現れ、運動員の行動に目がひかっていた。親戚でも訪問できない状態が続いた。
二十年たってもこの亀裂は風化されず、現在も感情として一部残っているが、住み良い町になりつつある。
=つづく
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