大正末期〜昭和の北山田から 第60回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
生活対策【3】
残された奥さんと子供さんを当時は心配したが、近所の方の温かい見守りに、子供さんも立派に成長されました。仮移転から転々とした生活のなかで耐えられた家族を、天国の忠夫君に報告するのも近い歳になってしまった。
自分たちの故郷を壊すのは、仕事とはいえ、いやなものだ。
草葺きの家屋をバックホーで壊し、墓地を削り、小川を埋め、豊かな畑を剥ぎ、四季折々衣替えする雑木林を伐採し、稲穂波打つ田圃を地底に沈め、最良の友を亡くした。
住みよい街作りとは、過酷な犠牲により生まれるものだと感じた。
造成工事をやりながら、技術資格の問題が浮上した。最低でも二級施工管理士の資格が必要になり、会社には資格者を雇う余裕もなく、仕方なく、東京電気大学で土木学科講座会が開かれたので通うことにした。
実地は地崎工業や大林組に下請けに入っていたので、所長に教えてもらい、試験は東京の青山学院で行われた。何しろ初めて大学の教室に入るので、緊張して制限時間いっぱい使って挑戦、三十分過ぎたら答案が出来た人は提出でき、続々席を立った。
私が一番前の机だったので、後ろを見ることができずにいたら、試験官が「急がなくてよい、時間はまだある」と言われ、あまり静かなので振り返り見たら誰もいなかった。お陰で資格が取れた。
次に二級造園施工管理士の資格が必要になり、農業大学の教室で学科試験が行われた。猛暑の中、与えられた竹と石で築山を造り、権年寺柵を九十分以内に完了する作業でした。 =つづく
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