大正末期〜昭和の北山田から 第62回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
審議会解散
平成八年九月十二日、審議会は二十三年間の幕を閉じた。長くも短くも感じられる歳月であった。審議会委員として信念を通してきた自己満足だけが残った。時には我田引水の意見もなくはなかったが、私の不器用な性質は直らなかった。残念なことは、公団の四割買収に応じた方には馬鹿を見たことのないようにする、と公言されたことが無視されたことで、生涯、心の片隅に、わだかまりとして残る。
五期目の審議会の当初は、農家と勤め人との間に対立があった。
しかし、会が重なるにつれてお互い紆余曲折はあったが、理解し合える仲になり、終止符を迎えた。
幻の鉄道駅を抱えた地域とすれば、何で収束なのか疑問が残る。
時代、世代が変わるから仕方がないが、区画整理は平等の負担と平等の恩恵を受けることが前提と思っている。
二十有余年前、田畑を耕し、竹林を育て、放牧の牛を追い、朝霧含む苺の収穫、四季折々衣替えする雑木林に囲まれ、鰻、鰌、カタッケの捕れる清水の小川、時間が止まったような日溜まりの静寂があった故郷。初夏には、田圃から湧き出る蛍の乱舞。秋は、澄み切った果てしない宇宙の星空と満月。冬、積雪三十センチの雪かきの汗。春は桜の下でお釈迦様のお祭り。
先祖伝来の故郷はキャタピラの下に人情とともに埋もれた。
ニュータウンの関連団体が収束の名のもとに解散していった。解散は、次世代の故郷創造のスタートであり、北山田に住んでよかったと言われる町にしなければ、土地を犠牲にして協力してくれた方々に申し訳ない。
=続く
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