意見広告・議会報告
半世紀を超えて完成した「文化センター」 決して諦めないことを学んだ14年間。 自民党 衆議院議員 くさま剛
東日本大震災発災直後の平成23年4月に市会議員に初当選した際、前任者の大久保純男元議長から「この土地の問題を解決することが草間さんの大きな役割だよ」と言われました。
当時、雑草が茂る広い土地に金子進さん達が運営されていた「夢スタジオ」のみあったセンター北のこの土地は、約50年前の昭和47年、横浜市から「文化」の用途として使用する旨の説明があり、昭和54年には「文化施設」として土地利用計画図にも記載され、平成3年には横浜市、公団の連名で市民ホール予定地として説明していた「文化施設用地」でした。地元では20年以上も署名活動等を展開していたにも関わらず、行政からずっと放置されていました。
身内からもヤジ
土地の管理は財政局、用途は文化施設なので文化観光局(当時)、地元の都筑区役所と縦割り行政の弊害で動かない典型的な事例で、当時を思い出すと、区役所も本庁も誰も文化施設を建設することなど考えていませんでした。本会議はもちろん、予算・決算・常任委員会と議会のあらゆる場でこの問題を取り上げ、身内の自民党からも「しつこい!」とヤジが飛ぶ始末でしたが、平成29年に区民文化センターの検討をしていく付属機関設置の条例案が成立し、文化センター+民間施設の議論が本格的に始まりました。その際に、本庁の職員の方から言われた「草間さんの粘り勝ちだね」という言葉や、夢スタジオでの最後の盆踊りは一生忘れません。
事業決定後も、コロナ禍などで事業そのものがとん挫しそうな時もありましたが、決して諦めない精神でオープンを迎えられたことを本当にうれしく思います。この施設の完成を夢見ながら先立たれた皆さんの顔を思い浮かべ、本稿を書いています。
![]() 2013年文化施設を求めるイベント
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