都筑区 社会
公開日:2025.08.14
土足で上がり込んだ特高
新栄町・馬場史子さん
新栄町の馬場史子さんは、1941年生まれの83歳。大阪・都島区で長女として生まれた。一家はその後、戦火が激しくなり、布施市(現在の東大阪市)に転居。45年1月には妹が誕生した。
戦争は「凄く怖かった」体験が心に残る。
空襲警報のサイレンが鳴ると家族は電気を消し、茶碗を伏せ、防空頭巾をかぶり、非常食代わりの炒り大豆を入れた袋を肩から掛け、防空壕へと急いだ。大人たちは防空壕の前に立ち、B29の行方を見守っていたが、戦火が激しくなり、民家の近くの防空壕も危険と判断すると畑の中で伏せ、布団を被ってやり過ごすこともあった。
大阪も何度も空襲を受けた。特に淀川の支流をはさんだ反対側は激しい爆撃を受け、火の手が上がるのが見えたという。「今のうちにロウソクを用意しておかないと」と母はまだ4歳にもならない史子さんにロウソクの買い物を頼む。燃えさかる炎の方へ向かって出かけねばならず、玄関にしがみついて泣いていたら隣のおばさんが助けてくれ、出かけずに済んだ。
父は、馬場さんが生まれる前の1930年代に、労働運動や反戦活動などで検挙され、6年半もの間、獄中生活を送ってた過去があった。そのため特別高等警察(特高)に目を付けられていた。特高は夜、突然家に押しかけてくることがあり、「父が留守だと、『帰るまで待たせてもらう』と上がり込んできた」という。馬場さんが夜、トイレに起きると、見知らぬ人が靴を履いたまま畳の部屋に上がり込み、火鉢の前に座っていることが。「母に『この人誰?』と聞くと、特高に『いいから子どもは寝てなさい』などと言われて。とても怖かったし、ショックでした」と幼い日の恐怖を語る。
父の思い
馬場さんの名は「歴史を作り変える女性に」の思いを込めて名付けたと聞かされた。「父は『女性は大和撫子などといって淑やかに暮らすのが良いというが、本当の淑やかさとは、人の言いなりにならず、女性でも自分で考え、意見を言い、行動できることをいう。そういう女性になって欲しい』」と言ってくれた」。父の教えは「その後の自分の生き方に影響していると思う」と力強く語った。
馬場さんは戦後、自分の子どもが小さい頃には8月15日になると夕方家の中の電気をすべて消し、戦争当時の思い出話を聞かせた。子どもたちは平和行進に参加したり、折り紙で鶴を折り、広島に届けてもらう活動なども行っている。
ピックアップ
意見広告・議会報告
都筑区 ローカルニュースの新着記事
コラム
求人特集
外部リンク
- LINE・メール版 タウンニュース読者限定
毎月計30名様に
Amazonギフトカード
プレゼント! -

あなたの街の話題のニュースや
お得な情報などを、LINEやメールで
無料でお届けします。
通知で見逃しも防げて便利です!











