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戸塚区・泉区

公開日:2025.02.27

今年は昭和100年
原宿の川邊重男さんと振り返る あの日、あの時――。

昭和のお宝発見

 2025年は昭和で数えると100年。戸塚区原宿在住の川邊重男さん協力のもと、あの頃の思い出や昔懐かしい品々を振り返る。

♢ ♢ ♢

 川邊さんの自宅に残る「映写機」。映像技術のデジタル化が進んだ現在では使われる機会も少なくなったものだが、当時は最新技術だった。

 映写機右側のアームにフィルムを取り付け、溝に沿わせながら左上に設置した巻き取り用リールに接続......慣れた手つきで操作を説明する川邊さん。「布団のシーツを大きく張ってそこに映像を写してさ、みんなで見てたんだよね」と思い出もよみがえる。

 懐かしい思い出とともに今も川邊家にあるのが、庭の井戸だ。「夏の日は冷蔵庫の代わり。スイカを入れておくと、ちょうどいい冷たさになっててね。おいしかったなぁ」。かつては、お茶やコーヒーを淹れるため、わざわざ近所から水を汲みに来る人もいたほど。現在は災害時に使える非常用の井戸として備えられ、水質検査も欠かさないという。

昭和の原宿。輝く思い出の数々

 原宿のシンボル的存在と言えば、国道1号と環状4号線が交わる「原宿交差点」。交通の要衝としていまも昔も多くの車両や人の往来がある。

 川邊さんによると正月には、国道1号を走る大学生ランナーと、応援する人々の歓声で原宿のまちは大いに盛り上がっていたという。「先導する車両の荷台からも学生たちが仲間を応援していたよ」

 さらに時代をさかのぼり、戦中の原宿。交差点にほど近い大正小学校では、川邊さんの父・利男さんが敷地の一部をさつまいも畑にしたという。

 大きなさつまいもを抱える小学生と利男さんの写真を見て、「お腹いっぱいになれるようにしたんだね。厳しい時代だったから」と思いを馳せる。

 昔の写真を見れば、楽しい思い出もよみがえる。川邊家には「大正地区子供会大運動会」の記録写真が多数。川邊さんによれば、ここでも父・利男さんが地域を盛り上げるために運営側として尽力していたという。

 「五重塔」が伸びる青空の下、会場には多くの人が集まり、にぎわう声や会場の熱気が伝わってくる。子どもたちの胸元には、「富士見」「小雀」「影取」などの地名が見え、地域別で競い合っていたこともわかる。徒競走や玉入れ、借り物競争......。躍動する子どもたちの姿は、今もアルバムの中で輝いている。

昔懐かし、昭和の生活

 1960年代の「新・三種の神器」はクーラー、自動車そして、カラーテレビ。鮮やかな映像を楽しんだそのときめきを覚えている人も多いのでは。川邊家にカラーテレビが来た時も「近所の人が集まってみんなで見たよ。普及してからは、囲炉裏を囲んで家族で楽しんだね」と団らんの象徴的存在だった。

 台所や風呂場の写真には、昭和の生活風景が写っている。今はスイッチ一つで使える火も「昔は薪割りだから大変。煙もすごくいから、大きな換気扇や煙突で工夫してたんだよ」。何気ない普段の食事や入浴も、記憶とともに思い起こされる。

 川邊さんは「薪を割ってて、鎌の狙いがずれるとスコーンと地面を叩いちゃってね」と振り返る。自宅の三和土の少々凹んだ部分や外壁に沿って残っている煙突が、そんな日常生活の1コマを今に伝えている。

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