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金沢区・磯子区 コラム

公開日:2014.10.02

古文書から見る金沢
第5回 文/飯塚玲子

  • 「醤油仕込帳」慶応2(1866)年=写真右=、帳簿に赤穂の文字が見える=同下

 大道ふれあいむかし資料館の相川家文書には、江戸時代終わりから、昭和にかけての醤油の帳簿が残されている。一番古い帳簿が文久2(1862)年のものなのでこの頃に相川家が醤油醸造の商売を始めたのがわかる。



 『醤油売揚差引帳』という帳簿には、支払いとして小麦、大豆10俵ずつ塩19俵、槇253束、手間40人、塩運賃などが書かれている。他の帳簿を見ると塩は、赤穂と書かれていて、近くに塩場の地名が残っているように塩が取れたにもかかわらず、赤穂の塩を使っていた。また塩舟賃とも書かれており、船で塩を運んでいた事もわかる。



 当時は、穀物や塩などの原料を集めるのにも江戸等へ売るのにも水運が無くてはならなかった。醤油づくりには、侍従川の存在が、かかせなかっただろう。



 そして、相川家の井戸から良い水が出た事や、近くで薪が取れた事なども、醤油づくりに適していたと考えられる。



 これらの帳簿には紙を再利用したため、裏紙に醤油を作る以前の商買の帳簿が書かれているものもあり、興味深い。

 

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