金沢区の富岡総合公園内の浜空鎮魂の碑で8月7日、8年前から中断されていた夏の慰霊の会が再開された。当日はガダルカナルで遺骨収集を行った長野県在住の天谷裕道さん(58)も参加。天谷さんが持ち帰った浜空隊員の遺品が、77年ぶりに横浜の地に帰った。
1942年8月7日は同公園に基地があった横浜海軍航空隊(浜空)が南洋の小島・ツラギ(ガダルカナル島から北方約40Km)で玉砕した日だ。浜空隊員や遺族から成る浜空会はこれを悼み、2011年までこの日に慰霊の会を行っていた。だが、会員の高齢化などで真夏の開催が困難となったため、中断されていた。
再開を呼びかけたのは、富岡西在住で昨年、浜空についての本を書いたノンフィクション作家の大島幹雄さん(66)や現在、浜空会の世話人を務める加藤郁夫さん(60)だ。「本で伝えようとした浜空隊員たちの思いや事実を、さらに継いでいきたいと思った」と大島さん。「少しずつ輪が広がっていけばいい」――そんな思いで昨年末から定期的に鎮魂の碑の掃除を行っている。
隊員の遺品、横浜に
加藤さんは、インターネットでガダルカナルの現地の様子を書いた天谷さんのブログを見つけ、浜空の記述があったこととから連絡。「浜空の遺品があるので、お渡ししたい」という天谷さんを慰霊の会に招待した。
天谷さんはガダルカナル陸上戦を10年以上にわたり研究してきた。現地調査も複数回実施。ツラギのすぐ東にあるガブツとカナンボクには2度訪れている。今回、浜空に渡された遺品は2014年にカナンボクで見つけたものだ。すぐに関係者に渡そうと思っていたが、連絡先が分からず、そのままになっていたという。「遺品が家にあることが重荷だった。おさまるべきところにおさまって安心しております」と安どの表情を見せた。
慰霊の会には、関係者ら約15人が参加。碑の前に、天谷さんから渡された「ベルトの一部」「飯ごうのふた」「砲弾の弾頭」が供えらえた。参加者は黙とうのあと、浜空会の慰霊を込めて献杯。その後、懇親会が行われ、天谷さんらから写真や資料を交えて現地の様子などが語られた。
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