港南公会堂で、港南歴史協議会が、港南台の歴史を振り返る写真展「港南台の今昔」(9月12日(木)まで)を開催している。その中に「港南台中央名店街」に関する資料が展示されていた。資料によると、この商店街は既になくなってしまったらしい。そこで、今は無き名店街がどのような歴史を歩んできたのか、当時を知る人に話を聞いてみた。
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港南台中央名店街ができたのは約50年前の1975年。場所は港南台6丁目で、港南台駅から徒歩約15分の場所に位置している。名店街ができる前年にちどり団地とめじろ団地の入居が始まったこともあり、連日多くの人で賑わった。長沢郡重さん(86歳)が営んでいたナガサワ電機は創設時からある店舗の内の一つ。「八百屋や酒屋など、生活に必要なものは一通りそろえられた。若い人も多かったので常に活気があった」と長沢さんは振り返る。周辺の団地で盆踊りがある時は各店舗が露店を出すなど、地域に根差した商店街だったという。以前めじろ団地に入居していた港南歴史協議会のメンバーは「団地から港南台の駅までは歩くと15分くらいかかるので、日用品の買い物をするのに便利だった」と当時を懐かしむ。
時の流れと共に縮小
長沢さんによると、80年代までは活気のある状態が続いていたが、90年から2005年頃にかけて徐々に店舗が減少。高島屋港南台店が1983年に開店。港南台バーズが1995年にリニューアルオープンしたことも原因としてあげられるが、「後継者不足も店舗数減少の原因だった」と長沢さん。1年で7店舗が閉業した年もあり、徐々に規模は縮小していった。46年前から名店街で米菓の製造販売を行っていた「三ツ山」の三ツ山暉子さん(92歳)は「先に開発が進んでいた洋光台周辺から移り住んだ人が多く、賑わっていた。港南台駅前の開発が進むにつれて名店街の商店も減っていった」と話す。
2010年には名店街のシンボルでもあったアーチを撤去。その数年後には、当時名店街の会長だった長沢さんが解散を決意。区の商店街連合会を退会し、正式に名店街は解散することになった。現在は美容院など4店舗が同じ場所で営業を続けている。
かすかに残る面影
今でもナガサワ電機の敷地内にはアーチの支柱が埋まっていた跡が残っている。「この跡を見ると、名店街が活気にあふれていた時を思い出す」と長沢さんは懐かしむ。
長年、多くの人に愛されてきたであろう港南台中央名店街。現在その面影を感じられる部分は少ないが、シンボルであったアーチの支柱が埋まっていた穴からは、アーチのサイズ感が分かる。そして長沢さんや三ツ山さんの話からは、当時の活気を想像させられた。
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