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港南区・栄区 文化

公開日:2025.06.26

港南台
農村からベッドタウンへ
3万人が住む街の軌跡

  • 1977(昭和52)年の港南台駅周辺=港南歴史協議会提供

  • ちどり団地入口

  • 港南台土地区画整理事業の竣工記念碑

 港南区の南側、栄区と磯子区に挟まれている港南台。1960年代以前は緑豊かな農村地域であったとされている。しかし、現在では約3万人が暮らし、港南台駅の1日の乗車人員は2万5000人以上。区内では上大岡に次ぐ規模の商業地であり、多くの団地や戸建て住宅が立ち並ぶベッドタウンとなっている。

旧公団による区画整理

 農村だった港南台にとって転機となったのは、住宅の不足を補うことを目的に日本住宅公団(現UR都市機構)が1969年から行った土地区画整理事業。これにより、田畑や住居のある土地は開発されたが、住民による反対運動は起きなかったという。

 こう語るのは長年、港南台に住み、過去に横浜港南台商店会の会長を務めた田邉義勝さん。「市や公団が『日本一の街を作ろう』と住民に呼びかけた。期待感があり、反対運動は起きなかった」と当時を振り返る。

 その後、1974年9月にはめじろ団地が完成し、入居が開始。ちどり団地などが後に続いた。そして、1973年には根岸線が洋光台駅から大船駅まで延長。それに伴い港南台駅が開業した。

 団地の建設や駅の開業によるアクセスの向上により、港南区の人口は増加した。南区から分区した1969年には約9万5000人だった人口は1979年に18万人を突破。10年で人口は倍になった。

 「開発以後に住む人たちは街の歴史を知らない人や竣工記念碑の存在を知らない人も多いはず」と話す田邉さん。人々で賑わう港南台駅から少し離れた港南台西公園の近く、くら寿司港南台店の駐車場内には区画整理の竣工を祝う記念碑が建てられている。

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