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港南区・栄区 社会

公開日:2025.08.14

”カラス”がふんを落とした
港南区在住 佐藤博隆さん

  • 現在は港南区に住む佐藤さん

 1945年5月29日、佐藤さん(当時7歳)が住んでいた中区松影町はよく晴れていたという。午前8時半過ぎ、西の空から「ゴー」という音と共にカラスの大群が向かってくるのが目に入った。「カラスが黒いふんを落としたんです。それが上空で割れて夕立のようにザーと降ってきた」。それはカラスでもふんでもなく、米軍爆撃機と投下される焼夷弾だった。横浜大空襲だ。

 この時、襲来していたのはB29が500機、P51が100機。投下された焼夷弾の総量は2570トンに上る。

 割れた”黒いふん”はドスン、ドスンと地面に落ち、そこから炎が上がった。最初は防空壕に逃げ込もうとした佐藤さん。しかし、どこからか「防空壕はダメだ」との声が聞こえ、母と2歳の弟を連れて本能的に走り出した。

 中村川にかかる亀の橋を渡ろうとした時、欄干の上で在郷軍人が逃げる方向を指示していた。その声に従って山手の高台にある高射砲陣地へ坂を登る。眼下では紅蓮の炎が渦になって昇り、火が電線を伝って走った。最初に”カラス”を目撃してから約2時間。先ほどまで生活していた街は瞬く間に火の海の底に沈んだ。「高台で熱さは感じなかったが、油が燃えるような強い異臭で気持ち悪くなった」。後に残ったのは教会とビル。鉛の水道管は熱で溶け、水が噴き出していた。そして桜木町駅の大きな丸い時計が見えたことが強く印象に残っている。

 その2カ月半後、日本は終戦を迎えた。玉音放送から流れる敗戦を伝える天皇陛下の声に大人たちは涙を流したが、佐藤さんはただ「平和になって良かった」と思った。また、「天皇陛下は神様」と教えられていたため、「神様が声を出すのか」と驚いたという。

 幸い佐藤さんの家族で命を落とした人はいなかった。だが、バラック小屋で食料のない苦しい生活を強いられる。父は大工として働き収入はあったが、そもそも物資不足で金など意味を持たなかった。

 それでも佐藤さんは家族と共にいられる安らぎを感じだという。それは、空襲の前年まで名古屋の親戚宅に疎開していたから。「なじめずにいたところ、父が迎えに来て連れ帰ってくれました。その時に『物はないけど落ち着ける場所が一番いいな』と思いました」

 佐藤さんは「人々は戦争で錯乱状態になり、頭が狂わされていた」と混乱の時代を振り返る。「戦争は嫌だね。心が犬畜生になっちゃうんだ」。小さく呟いた。

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