本牧 気まぐれ歴史散歩 【18】 根岸競馬場はゴルフ場・収容所・印刷所・いも畑にもなった
前回コラムでは根岸に競馬場が造られた経緯をご紹介させていただきましたが、根岸森林公園は競馬場が出来た以降も様々な変遷を遂げて、現在の美しい公園になりました。
競馬場として使われていた明治39(1906)年に、競馬コースの内側に9ホールからなる日本初の芝生のゴルフ場が出来ました。この頃、ゴルフ場は既に関西に誕生していましたが、そちらは砂地のゴルフ場だったようです。
第二次世界大戦が激化すると、根岸競馬場は海軍に接収され、昭和18(1943)年に閉場しました。跡地は外国人収容所や海軍印刷所、探知機実験場、いも畑などとして使われました。戦時中「内容が戦時にそぐわない」として軍から掲載禁止となった谷崎潤一郎の「細雪」が戦後に出版されることとなったとき、谷崎から「箱入りにしろ」と言われ、競馬場内にあった印刷所が、物資入手困難な時代に海軍用として所持していた大量の上質紙で本を印刷し、専売公社から煙草用厚紙を入手して外箱を作成した話は有名です。かつて本牧で暮らしていた谷崎の名作が根岸で印刷されたのも不思議な縁なのかもしれません。
戦後は米軍に接収され、米軍施設として再びゴルフ場が設けられ駐車場や射撃練習場、遊技場などとしても使用されていたようです。現在も一部は米軍施設のままです。
次回はもとの外国人遊歩道から少し住宅街の方に向かって歩きます。
(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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