本牧 気まぐれ歴史散歩 36 「箕輪薬師堂地域で護り継ぐ堂と像」
江戸期に本牧領と呼ばれていた地域は現在の5つの区にまたがり、その中心地が本牧本郷村という村でした。現在、一般的に「本牧」と呼ばれている場所にあたるところです。江戸初期から本牧本郷村の中は、さらに6つの村(小名・小字)に区分されていて、箕輪もその6つの村の中の1つでした。箕輪という地名は約400年の歴史があるのです。
現在、その箕輪と呼ばれている地域は、本牧町二丁目の一部となっていますが、その地域の路地に、箕輪薬師堂があります。薬師堂の中には、美しい薬師如来像(非公開)が安置されており、今も地域の方々が大切に護り継いでいます。かつては地域ごとで護り継いできた神仏や信仰を拠り所とする「講」という組織を作り、お互い助け合いながら日常を過ごしていました。特にその信仰に由緒ある日は神仏との縁がより深まるとされた、いわゆる縁日として、みんなで集まって祈りをささげ、地域の人々の絆を深めていました。
災害や疫病は昔も今も人々の身体と心を傷つけます。しかし、そうした苦難に出遭った時にも、日頃から地域の人々が心と心を通わせ、絆を深め、助け合ってきたからこそ、いざというときも一緒にその苦難を乗り越えることができたのではないかと感じます。箕輪の方々が日頃から堂と像を護り継ぐ活動は、その原点の1つなのかもしれません。次回は、箕輪谷戸から丘を登っていこうと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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