本牧 気まぐれ歴史散歩 50 『震災と根岸の赤十字病院』
開港場となった横浜には、国内外からたくさんの人々が集まり、市域も広がり、短期間で日本第6位の大都市になりました。大正12年(1923年)9月1日、関東大震災は大都市となった横浜を襲いました。当日は台風が北陸を通過し、横浜にも強風が吹きこんでいたため、火災の広がりも早く、横浜中心部は壊滅状態に陥りました。
市内の病院38箇所1295床も9箇所254床しか残らず、膨大な傷病者に対して医療従事者も医薬品等も全く足りない状況となりました。県医師会長が経営する根岸療養院も被害を受けましたが、無事だった建物については無償で日本赤十字社(以下「赤十字」)に提供され、赤十字の臨時病院となって傷病者の受け入れと治療を行いました。
9月5日に来航した米国艦隊は、倒壊を免れた新山下埋立地に天幕75張750床の野戦病院を設置し、救援にあたりました。野戦病院は、10月29日に任務を終え、医療機器・医薬品・食糧すべてを赤十字に寄贈しました。赤十字は臨時病院などで活用しました。
翌年4月に赤十字は根岸療養院を買い取り、横浜赤十字病院と改名しました。同院は、平成17年(2005年)に野戦病院が設置された新山下地区に出来たみなと赤十字病院の開院に伴い、閉院するまでの長い間、本牧・根岸の地域医療を支える病院となりました。
次回は、写真の道路を右側へと渡って、路地を歩いていこうと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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