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中区・西区・南区 コラム

公開日:2022.08.25

本牧 気まぐれ歴史散歩 60
『山手外国人墓地と維持管理』

  • 山手外国人墓地入口の三叉路

 横浜開港前、嘉永7年(1854年)ペリー艦隊の水夫がマストから転落して亡くなり、現在の元町・中華街駅にあった寺院・増徳院の墓地に埋葬されました。その後、水夫の墓は日米和親条約で開港場となった下田に移りましたが、横浜が開港場になり、外国人が日本で暮らすようになると、引き続き増徳院の墓所には横浜で亡くなった外国人が埋葬されるようになりました。文久元年(1861年)に日本人の墓を移転し、増徳院の墓所と外国人専用の墓所を区分して整備・拡張していったのが、現在の山手外国人墓地です。



 墓地に使用する土地は日本から無償で提供されましたが、維持管理については明治3年(1870年)から外国人自ら行うこととなりました。各国領事館は話し合い、管理委員会を設置して維持管理の費用を負担しました。管理委員会は明治33年(1900年)に財団法人横浜外国人墓地と法人化され、現在も墓地は国や県・市ではなく、ボランティア活動から寄付金調達までさまざまな活動を同財団が行い、この墓地を維持管理しています。



 山手外国人墓地は、異国情緒豊かな墓石と港の風景が一体化した横浜を代表する名所です。ここには、横浜と世界を繋いだ、横浜の礎を築いた多くの外国人も眠っています。入口の資料館で先人の方々の活躍と歴史に触れ、維持管理している同財団とボランティアの方々に感謝し、ささやかな募金をしてから山手通りに戻り、横断歩道を渡ります。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)

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