中区・西区・南区 コラム
公開日:2022.10.20
本牧 気まぐれ歴史散歩 62
『横浜ベイブリッジ』
平成元年にできた新しい架け橋
横浜のシンボルとなっている横浜ベイブリッジは、飛鳥田市政時代だった昭和40年(1965年)に横浜市六大事業の1つとして建設が計画されました。
それから24年後となる平成元年(1989年)には、3月に横浜博覧会開催にあわせて横浜美術館と横浜マリタイムミュージアム(現・横浜みなと博物館)が開館し、4月に新本牧地区の開発のシンボルとしてMYCAL本牧が誕生しました。横浜ベイブリッジも同じ年の9月に開通しました。平成元年は、横浜に新しい施設が次々と誕生した年となりました。
横浜の道路網も大きく発展し、高速道路もベイブリッジを中心に縦横に張り巡らされました。横浜の都市化も道路網・鉄道網にあわせて拡大し、昭和40年には180万人弱だった横浜の人口も、現在では377万人を超えるまでになりました。本牧や山下地区・関内地区・みなとみらい地区の街並みも大きく変化しました。
横浜ベイブリッジの建設が始まり、造船所跡にみなとみらい地区が造られ、本牧の接収地が新本牧地区に生まれ変わるころ、みなさんは横浜ベイブリッジという新しい架け橋が建つのを見ながら、どんなことを考えていらしたでしょうか。そんなことを思い出しながら、次の世代を担う子どもたちに、明るい未来への懸け橋をつないでいきたいですね。
ベイブリッジを眺めながら、次は運河にかかる小さな橋へと向かっていきます。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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