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公開日:2023.04.13

本牧 気まぐれ歴史散歩 66
『妙香寺サツマバンドの写真』

  • サツマバンド The Far East vol.1= 横浜開港資料館所蔵

 生麦事件・薩英戦争を経て、薩摩と英国は和睦しました。スコットランド商人グラバーの仲介で、島津久光はパークス英国公使夫妻や英国海軍約300人を薩摩に招きましたが、そのとき英国海軍の軍楽隊による演奏会に感銘を受けた久光は、英国軍楽隊に西洋式の軍楽演奏の指導を依頼しました。そうして、30人の薩摩藩士が現在の港の見える丘公園に駐屯していた英国軍隊から程近くにある本牧山妙香寺に寝泊まりして、英国海軍楽隊長フェントンの指導を受けることになりました。妙香寺は学僧が学問・修行に励む場所として大きな宿坊もあったようです。ここで学んだ藩士たちが日本各地で指導者となったことで、現在では各地で吹奏楽が行われるようになりました。

 この写真は、明治3年(1870)にサツマバンドと呼ばれた薩摩藩士たちが妙香寺で吹奏楽の練習をしていた時に撮影された写真といわれています。後ろに鳥居と祠が写っていますが、これはかつて日蓮宗寺院にあった日替わりで寺院を守護する三十の神々を祀った番神堂という堂宇ではないかと考えられています。鳥居も支え柱が4本付いた両部鳥居という仏教由来の神を祀る神社の鳥居。明治の初期までは神仏習合という宗教観であり、寺院と神社を区別することなく一体のものとして信仰することが普通の時代でした。

 妙香寺から本牧通りに出てきました。トンネルがある方へ向かいたいと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)

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