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中区・西区・南区 コラム

公開日:2024.02.01

本牧 気まぐれ歴史散歩 75
『本牧小学校』
本牧南小学校よりあとにできた学校

  • 接収されていた本牧小学校=鶴岡和彦氏撮影

 本牧小学校は明治6年(1873年)に開校しました。その後、本牧の人口増加に伴い、現在のLa Ohana駐車場並びに、次いで天徳寺内に校舎を建て替えながら大きくなりました。関東大震災で校舎は倒壊しましたが、市内で2番目に復興され、全国ではじめてスロープが設けられた鉄筋コンクリート造の校舎となりました。アールデコ調の曲線を描いた大きな窓ガラスとピンク色の壁面の建物は、本牧のシンボルとなりました。

 第二次世界大戦後、本牧小学校は焼失を免れましたが、米軍に接収され米軍の学校として使用されました。昭和46年(1971年)には、本牧小学校再建前に本牧南小学校が誕生しました。本牧南小学校の校名を決めるときには「本牧小学校は、接収解除後に必ず同じ地に再建する」という思いから、新設校には「南」の名前を加えたというエピソードもあるようです。色も白く塗り替えられ、目の前で米軍の子どもたちが使っている学校を必ず取り戻したいという思いは、本牧で暮らす誰もが持っていたことと思います。接収解除後、跡地はMYCAL本牧5番街の敷地となり、場所はやや西側に移転しましたが、本牧小学校は平成4年(1992年)に再建しました。令和4年(2022年)には再建30周年となり、今は151年目の年を迎えています。

 ベイタウンから本牧通りを渡って、大鳥中学校の方へ向かっていこうと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)

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