戻る

南区 コラム

公開日:2017.05.18

〈連載〉さすらいヨコハマ㉕
平和球場で見た試合
大衆文化評論家 指田 文夫

 横浜スタジアムの前身が、平和球場(横浜公園平和野球場)だったことはよく知られている。



 元は、1928年にできた球場で、戦前には米大リーグ選抜が全日本と試合をやったこともある。戦後は、米軍の手で夜間用照明も作られ、日本最初のナイトゲームが48年に巨人対中日で行われた。だが、60年代は老朽化していて、外野席は使用されないようになっていた。



 私がここで野球の試合を見たのは、71年の初夏、就職試験の申込書を出した午後で、スタンドに上がるとゲームが行われていた。横浜市消防局対日本石油で、都市対抗野球の神奈川県予選。「消防局は野球チームも持っているのか」と思った。市内には企業チームの他にクラブチームの金港クラブがあり、ここは巨人の外野手だった南村侑宏を輩出した名門だったと知ったのは、市役所に入ってからだった。



(文中敬称略)

 

    ピックアップ

    すべて見る

    意見広告・議会報告

    すべて見る

    南区 コラムの新着記事

    南区 コラムの記事を検索

    コラム

    コラム一覧

    求人特集

    • LINE
    • X
    • Facebook
    • youtube
    • RSS