蒔田の丘の上にある「みつが丘地区」が造成・分譲された約60年前からの歴史をまとめた冊子が10月下旬、住民有志によって作られた。造成当初の開発の混乱によって、道路舗装や下水道整備が不十分なまま家が建ち始め、住環境を改善しようと、住民が奮闘した1970年代以降の様子が綴られている。製作に携わった住民は「当時のことを記録に残し、多くの人に知ってほしかった」と話している。
冊子「みつが丘物語」を作ったのは、2016年に誕生した住民有志の「みつが丘カフェサロン」(辻尚子代表)のメンバー10人。住民同士の交流を図る目的のサロンは、アパートの一室で月数回、健康づくりやコーラスなど、趣味の活動を続けている。16年度から区の「みなみ・ちからアップ補助金」を受け、活動を行っている。サロンでの交流活動と並行し、地域の歴史をまとめる冊子作りにも取り組んでいた。
「芦屋」のイメージ
みつが丘は大岡1丁目の丘の上にある地域で、若宮八幡宮のさらに上に広がる住宅地。1960年ごろから東京の業者が宅地造成を始め、数百戸を分譲したとされる。分譲の際の広告には「東京の芦屋」というコピーが使われるほど、高級な住宅地のイメージだった。
陥没道路自ら修復
「みつが丘物語」によると、業者は土地の位置などを示す「公図」を無視して開発を進めたり、「青地」と呼ばれる本来は国有地だった無番地を未処理のまま販売していたという。そのため、道路がすぐに陥没したり、U字溝にごみがたまるなど、さまざまな問題が噴出。当時は道路に空いた穴を住民が自ら埋めることもあったという。75年から公図を正しい状態に訂正するため、自治会を中心に地権者の承諾書取りまとめなどを始めた。その後、手続きが困難であることなどから、84年、自治会に「道路対策部」を設けて業者や行政との交渉を進めた。測量をやり直すなどして、89年に一部の公図訂正が完了。92年までに下水道や道路舗装工事が終わった。
道路対策部のメンバーだったサロン代表の辻さんは「公図が混乱していると、地価評価が下がったり、行政の支援を受けられないことが予想された」と当時を振り返る。
「記録残したい」
分譲開始から約60年が過ぎ、住環境改善のために悪戦苦闘したころを知る住民が少なくなった。辻さんは「現在の住民の半数以上は経緯を知らないのでは」という。そこで、このことを記録に残したいと考えた。70〜80年代の自治会役員が保管していた自治会ニュースや当時の写真、数十年暮らしている人の思い出などを40人以上から寄稿してもらい、A4判74ページの冊子にした。
冊子は400部印刷。読んだ人からは「懐かしい人の名前が見られて嬉しい」といった感想も寄せられているという。辻さんは「みつが丘の歴史を知る一端にしてもらえれば」と話している。冊子は大岡地区センターに配架され、閲覧できる。
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