「土木事業者・吉田寅松」51 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略
寅松と西郷従道は旧知の仲
北寺尾村出身の吉田寅松（旧姓鶴田寅松）の立身は、薩摩屋敷の出入り商人となったことから始まっていた。
寅松は、戊辰戦争では西郷従道の兄、隆盛に従い、官軍の兵器弾薬や兵糧調達を請負い、明治新政府の兵部省御用商人として活躍した実業家でもあった。従道は、明治維新後は山縣有朋と渡欧して軍制を学び、帰国後に兵部省の権大丞、参議と出世し、明治二十五年には、枢密院顧官に任じられ、侯爵の爵位を得て貴族院議員に就任。三十一年には海軍軍人として初めて元帥の称号を与えられ、再三内閣総理大臣候補に挙げられたが、「不肖の今日あるは兄隆盛の庇護に頼るのみ。自ら内閣総理大臣になるようなことは思いもよらぬこと」「今日の政局に立つためには、内外の情勢に精通し、頭脳明晰、達見の政治家でなければならぬ。自分は総理の器ではなく、総理を補佐して対局を誤らないように縁の下の力持ちのほうが適している」として、西南戦争を起こして明治政府に抗した兄、隆盛の逆賊行為を理由に断り続けた。
政界の重鎮になっていた従道と兵部省御用商人だった寅松は、旧知の間柄であった。明治三十年に寅松が国家的難事業の舞鶴海軍工廠の敷地造成・軍港建設工事を低予算の随意契約で請負ったのも、海軍大将の従道の要請によるものだった。
寅松は、横浜の吉田勘兵衛の一族、地方豪族の出自ということと、金銭には淡泊な紳士的な人格者で、当時の土木請負業者の中では一目置かれる存在だった。板垣退助を非常に崇拝し、板垣のために多分の仕送りをしていたという。
従道が名づけた｢見返し坂｣
従道は明治五年に鶴見を訪れていた。寅松の人生からは少し離れるが、生麦事件碑などを建立した、鶴見神社の三代宮司黒川荘三の手記『千草』に「見返し坂起源」として、従道が鶴見を訪れた様子が記されている。
〜・〜・〜・〜・〜
明治五年十一月、「鶴見村の富士山の見える所へ案内してほしい」と、鶴見村名主佐久間権蔵の事務所に一人の官人が訪ねてきた。いかなる人物であるのかは不明であったが、横柄なその言葉に恐れをなして、事務所にいた書記の黒川荘三が、鶴見駅停車場の西側の丘陵に案内した。
途中、成願寺の墓地に通じる通称「お墓山坂」の中腹に至った時、神奈川方面から汽車の響きがきこえてきた。官人はうれしそうに笑みを浮かべながら振り向き、汽車が鶴見駅に入ってくるのを見て、「ああ、この坂は汽車を見返し坂だ」とつぶやいた。
官人は、お墓山の頂上（現在の大本山總持寺の辺り）から東寺尾村方面を逍遥し、富士山を眺望するところでは足を止めて何度も何度も富士の雄姿を振り仰いだ。帰り道では農業のことなどを案内役の黒川荘三にたずねた。鶴見駅に帰り着くと、縦十二センチ、横三センチほどの奉書紙に「陸軍少輔 西郷従道」としたためた自筆の名刺を差し出した。黒川荘三はその名刺を見て、この官人がいかなる人物であるのかを知り、改めて畏敬の念を感じた。
神奈川方面から汽車が来るという案内をきくと自分で切符を買い求め、西郷公はその汽車に乗って帰って行った。
黒川荘三は後日、名主の佐久間権蔵と相談して、誰もがきらっている「お墓山坂」を西郷公がつぶやいた「見返し坂」と命名することにした。村役人たちにもはかり、多いに賛同されたので鶴見村全体に「見返し坂」と改名したことを知らせた。しかし、呼びなれた名前を変えるというのはなかなか難しいもので、しばらくの間は「お墓山坂」の旧名を唱える者が多かった。
富士山を眺めた西郷従道公は、後年、東京府下の新富士という富士を眺望する丘陵に地所を求め居住されたという。黒川荘三は、西郷従道公から受け取った名刺を大事に保管していたが、明治四十三年三月三十一日の鶴見大火の折に焼失してしまった。
〜・〜・〜・〜・〜
鶴見駅は、明治五年九月十二日（十月十四日）の新橋・横浜間の鉄道開業の翌日、日本で六番目に開業した歴史ある駅である。上りと下りホームを連結する鉄道跨線橋は大正元年七月に架けられ、西口は九年十一月に開設された。西口が開設されるまで鶴見駅は東口だけだった。明治五年に従道が鶴見を訪れた時は、東口の改札側に下りホームがあり、反対側の上りホームに行くためには、線路を横切らなければならなかった。上りホームには待合室やベンチなどはなかった。
鶴見区版のコラム最新6件
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
＜PR＞
