長崎被爆体験の語り部として活動する 松本 正さん 鷺沼在住 91歳
命の尊さ、次世代に
○…14歳のとき、長崎の爆心地から2・8キロの自宅の家屋内で被爆した。潰れた家の下敷きとなったものの、辛うじて脱出。家族のいる疎開先に逃げようとして道に迷い、爆心地近くの丘に出てしまった。そこで見た光景は「この世の地獄」だった。「助かってよかった」と喜んだのも束の間、爆心地近くの被爆者が次々と亡くなり始めた。「ずっと死に対する恐怖と不安に苛まれ続けてきた。原爆は長期間にわたり人間の体を蝕み、染色体を破壊して未来の命まで奪う爆弾だ」と語気を強める。
○…江戸時代から倉庫業を営む家柄。結核のため二十歳で亡くなった姉の主治医で和歌の師匠だった永井隆博士の存在が人生を変えた。『銀河鉄道の夜』になぞらえアドバイスされた「いろんな電車に乗ってみなさい」という言葉に後押しされ上京。慶応大では、法律を学びながら教会活動にも注力。聖歌隊で3年前に他界した妻と出会い、現在のライフワークである「語り部」の活動に大きな影響を与えた、聖路加国際病院名誉院長の故・日野原重明氏とも交流を重ねた。「日野原先生からは命の尊さを学んだ。人生は出会いによって左右される」としみじみ語る。
○…現役時代は世界を股にかけて仕事に励み、行く先々で被爆体験を語ってきた。「核廃絶は国や政治を超えた人類としての問題だ」。鷺沼に住んで半世紀、ひ孫4人にも恵まれた。趣味は五行詩歌。1997年に「ハマ風の会」を発足し、現在は150人の会員と共に自由な歌づくりを楽しむ。〈恨みを越え 原爆地獄の 生き証人として 生命ある限り 核廃絶を訴えたい〉。今後も「希雲」のペンネームで、歌に平和と核廃絶を託して、被爆体験を次世代に語り継いでいく。
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4月19日
4月12日