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高津区 コラム

公開日:2018.01.26

連載第一〇三〇回 「多摩川大洪水」
高津物語

 川崎の西北部を流れる多摩川は、古来から大雨が降るたびに出水し、氾濫を繰り返してきた。



 溝口から下は太古、深さ九メートルの海であったとは、学会の定論であるが、これが浮かび上がってデルタ状となった時、多摩川は南の丘陵と北の武蔵野の間を、いくつにも分かれて流れていた。



 最後は、久地大入樋にかかる大明神山の裾から、大きく屈曲して瀬田に流れ、沼部の方に下り、六郷川と名を変えて羽田の海へ注いでいった。



 稲田村の中野島堤防が決壊し、二子村、溝口村をはじめとする高津村村落数百町歩が水害被害を受け、川崎では六郷橋が流失し、「近代多摩川水害史上最大の水害被害」といわれている。



 この水害を契機にして多摩川土堤の工事が始まり、工期八年を要し、大正十三年に完成した。



 一期工事の終点が久地までで、五里十八間(約二〇キロ)であった。



 この時点は、いまだ平瀬川は大山街道溝ノ口方面に流れ、元高津中央病院裏から高津駅裏、高津スポーツセンター横を経て、諏訪土堤から多摩川に入った。



 多摩川堤防は第二期工事以降、次々に土堤を構築したが、この第二期工事の出発点は、高津区久地からであった。



 多摩川の土堤ができて、多摩川水害の恐怖から遠のいてはいるが「災害は忘れたころにやってくる」のことわざ通り、平生から多摩川氾濫の備えをする必要があると思われる。

 

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