高津区版 掲載号:2018年6月15日号
  • googleplus
  • LINE

連載第一〇四八回「高津の転換期」 高津物語

 高津町が大きく、日本史の転換期に登場してくるのは、皮肉にも、明治四三年(一九一〇)年であった。『高津物語』が、読者諸氏の熱烈な声援にも拘らず、明治末年から大正初年時期で歩みを止め、何度も足歩みしているのは、日本史と世界史の丁度合流地点に差し掛かり、幸運と言おうか、運命と言うべきか、東京近郊―東京西南部の多摩川を渡った「高津町」が、歴史の焦点を担うこととなる「歴史的運命の転換地」となるのだ。

 具体的には明治四三年の多摩川の大洪水であり、高津町が水没する歴史的大事件のあったこと。

 この大洪水が契機となって高津町民の悲願であった一つに、洪水を防ぐ土堤の完備であり、特に水路の完備だった。

 多摩川堤防築堤は高津町々民の悲願だった。工事開始が、やや遅れはしたが、内務省は、多摩川河口から久地に至る多摩川河口から久地に至る多摩川右岸改修工事が開始され、小向に改良工事事務所を設け大正九年から工事に着手した。

 大正一二(一九二三)年の「関東大震災」が起き、帝京大学溝口病院旧病院にあった高津小学校が倒壊した。

 震災から二年後、大正一四(一九二五)年に「二子橋」が完成。玉川電車が玉川を越え溝口まで乗り入れ、東京渋谷が身近となり、玉川電車の余剰な電気を譲り受けて、高津町の各村に電灯が点灯され、南武線も開通して、高津町は近代化の波の恩恵を受けるが、待ち受けていたのが、軍事主義化への道だった。この近代化の過程で多摩川の大量の土砂が東京のビルディングの壁の材料となった。

 これらの近代化の道を思い、呆然となる。

高津区版のコラム最新6件

高津物語

連第一〇五三回「賑わった大山街道溝口」

高津物語

7月13日号

高津物語

連第一〇五二回「1910年代の時代状況」

高津物語

7月6日号

高津物語

連載第一〇五一回「ラジオ深夜便に出演」

高津物語

6月29日号

高津物語

連載第一〇五〇回「高津物語」

高津物語

6月22日号

高津物語

連載第一〇四八回「高津の知った」

高津物語

6月8日号

高津物語

連載第一〇四八回「二子の懐古」

高津物語

6月1日号

高津区版の関連リンク

あっとほーむデスク

高津区版のあっとほーむデスク一覧へ

イベント一覧へ

バート・バカラックの世界

読者プレゼント

バート・バカラックの世界

サマージャズコンサート

7月28日~7月28日

高津区版のイベント一覧へ

最近よく読まれている記事

コラム一覧へ

  • 高津物語

    連第一〇五三回「賑わった大山街道溝口」

    高津物語

    7月13日号

  • 高津物語

    連第一〇五二回「1910年代の時代状況」

    高津物語

    7月6日号

高津区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2018年7月13日号

お問い合わせ

外部リンク