連載第一〇八四回「二カ領用水」 高津物語
寒い日が続いている。一月中旬、二カ領用水沿いを溝口から武蔵小杉駅まで「ミュウラボ」の人達と歩いた。多摩川に接していながら、長い間その水を利用することができず、洪水の度に泣かされてきた。多摩川は田畑を呑み込む荒々しい流れではあっても、作物を潤す多摩川では、決してなかった。武蔵小杉の最終地点は二カ領用水が渋川と分離する陸橋の上で、南武沿線道路の始発地点に近く、川崎寄りに少し入った府中県道沿いにあった。その昔、二カ領用水川崎掘りから分水された水は「渋川」と名を変えて、高津区久末方面から流れてきた水は、中原区矢上地点で渋川と合流する。ここから「矢上川」と名付けられて、渋川と合流して、鶴見川に流れて行く。その昔、二カ領用水は武蔵小杉地点で、渋川と分水した。そこに水車が造られて、米や麦、小麦粉等の精米が行われ、二カ領用水の水を使い、小杉の名物とされた地元の「そうめん作り」にも利用されていた。川の水を利用するためには、どうしても堤防を築いて洪水を防ぎ、必要な水だけを引いてくる「二カ領用水」を掘る必要があり、日常生活を送る上での「用水路」として、「二カ領用水」がどうしても必要とされた理由でもあった。沿道の桜と桃の開花が待ち遠しい二カ領用水散策だった。
渋川は東急東横線「元住吉駅」の手前から八幡橋を渡って、東海道新幹線のガード下を潜って、石神橋を渡って、矢上に出る。
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