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高津区 コラム

公開日:2019.07.26

郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる
まちのこぼれ話
第3話 その1 青山 昭久さん

◆ご家族や家業のこと



 私が生まれたのは中原区の新丸子なんです。その後下野毛へ、更に溝口へと移りました。兄妹は弟が2人、妹が1人。私が長男で、弟、妹、弟の順で4人兄妹です。弟2人は今も近くに住んでいます。妹は馬絹のほうに嫁ぎました。私の子どもは息子1人と娘が2人で、孫は全部で7人います。皆、野球大好きの野球ファミリーです。



 父は多摩川の砂利採掘現場で総支配人をしていました。多摩川沿いでは質のよい砂利が採れたんです。多摩川は時とともに川の形が変遷していますが、かつて川底だったところに堆積した砂利、これがとても良質なんです。父は昭和30年代の終わり頃にその仕事の傍ら、土木建材の会社を立ち上げました。現在の会社は父から引き継いだもので、私が二代目ということになります。



 最初は青山って名前をそのまま社名に使っていたのですが、平凡な苗字だもんで、似た社名が多くてね。私の代になってから私の名前を一字使った社名に変更しました。



 父は若いときに馬に蹴られて足の指を失くし、歩くのが不自由でした。それで兵役に採られなかったんです。でも日常の生活はできたので、ずっと働いておりました。



 父は59歳の時に脳溢血で急に亡くなりました。その日まで元気に働いていたんですがねえ。私が24歳の時でした。



 それ以来私が会社を継いでおります。

 

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