郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第8話 その1 大竹 寿一(ひさいち)さん
◆先生に「オリンピック選手になれる」と言われ
子どもの頃から、僕は運動、特に体操ですね、マット体操なんかが得意だったんです。バック宙返りなんかもできたんですよ。大勢が見ている前で模範演技をやらされることもよくあって、そのおかげで僕のことを覚えてくれている人が多かったですよ。「あ、体操やってた子だ」ってね(笑)。体操指導が得意な先生がいらして、その先生が僕がラジオ体操しているのを見て「君は将来オリンピック選手になれるよ!」って言ってくださったんです。
◆津田山陸橋がローラースケート場に
なにしろ身体を動かしているのが好きで。そうそう、津田山陸橋が出来た時(昭和29年)には、陸橋の上をローラースケートで端から端まで走り回っていましたね。当時はほとんど車も走っていなくて、陸橋の上が貸し切りのローラースケート場みたいなもんでしたからね。気持ち良かったなあ。
近所に”機械船”(この名称は本来、砂利採取船のことを指す名前なんですけど、僕らはそう呼んでました)っていう池で飛び込んだり泳いだりしましたねえ。遊泳禁止だったんだけどね。台風の日にも泳いで先生に怒鳴られたっけな(笑)。とにかく”やんちゃ坊主”でねえ、きかん坊でしたから、学校からの呼出なんかも度々あって、母をだいぶ手こずらせていましたよ(笑)。
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3月29日