郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第9話 その3 斉藤 マキ子さん
◆戦争中の思い出
最初は戦争も勝っていましたけどね、皆「勝ってくるぞと勇ましく」って出て行くんです。けれど私の記憶に残っているのは、学生の時分、大学生が皆、列をなして戦争に行く風景。私達は慰問袋を作ってあげました。学生さん達は予科練に行って、皆死にに行くんでしょ。それがかわいそうで一番記憶に残っていますよ。兵隊さんに持たせるために、千人針も刺しました。兵隊さんがお腹に巻いていったんでしょうね。街頭で刺してもらう人もいましたね。本当にかわいそう‥。でも、みんなが出征しましたから‥。送り出すときは日の丸の旗を持って、「お国のために」っていっても、かわいそうでした。一番それが悲しいことだと思いますよ。20歳ぐらいの若い方達でしたからね。昔の話をしても、今の人は解らないと思いますけど、知っておいて欲しいです。
◆終戦を迎えたとき
玉音放送は聞きました。だけど、ラジオでしょ。だから言葉がはっきりしなかったんですよ。でも戦争が終わったのだなってことは解りました。家族皆集まって家の中で聞きました。
戦争は終わりましたけど、いつまでも戻ってこられない方もいらしたでしょ。戦死なさった方はかわいそうですよね。私の叔父さんたちは皆帰ってきました。近くで亡くなった方はいませんでした。戦争が終わって良かったと思いましたよ。
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