郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第12話 その1 長岡 榮子さん
◆幼いころのこと
私は生まれた時から北見方に住んでいます。7人兄妹で育ちました。
食事は家族そろって箱膳で頂いていました。小さい頃は台所の半分が板の間で、その板の間で食べていました。
父は瓦を作る仕事をしておりました。多摩川の河原の土が粘土質で瓦の材料にとてもいいのでこちらの地に住むようになったのです。最初は二子新地にいたのですが、坂戸に引越し、その後北見方に移り住んだのです。土を採掘して、こねて、整形して大きな窯で焼き上げる、そういう仕事です。屋根を葺くところまでやっておりました。昔からの日本瓦で銀色に光る瓦でした。その仕事ができるのは神奈川県に2軒しかありませんでした。父がどこでどのように技術を習得したのか聞いておかなかったので残念に思っています。
作業をするため家の土地は結構広かったです。形成した瓦を乾燥させるために、真っ平な地面にずらーっと並べておりました。叔父や職人さんが数人一緒に働いていました。兄は身体が弱かったし、戦後は時代が変わってきて瓦の需要も減ったので、子ども達は誰も瓦の仕事を継がなかったんですが、叔父がとてもよく働く人で、後に瓦店を自分で立ち上げて営むようになりました。すぐ下の弟が実家を継いで母と住んでいたんです。でも火事で実家が焼けて、その時に亡くなってしまいました。
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