郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第17話 その4 森 正さん
◆100羽から始めた養鶏
養鶏は昭和30年頃に100羽から始めました。肥料が欲しかったんだと思います。土地も売らずに始めたので、すぐには増やせませんでした。でも市から機械の購入などに助成があって助かりました。始めた頃はこのあたりから木月の法政二高の時計台や新城の駅も見えました。道はまだ砂利道で、バスが通ると埃が追いかけてくるって感じで大変でした。
鶏舎は、今は温度、空調管理などすべて自動で管理されているけど、当時は人の力だけ、大変でした。ヒヨコを手に入れて豆炭や電気で暖めて大きく育てたり、寒くなる1月から3月は老鶏になると卵を産まなくなるし…。一番苦労したのは鶏の病気です。ニューカッスル病という病気にかかり、全羽がダメになってしまったこともありました。昔はピストル型の容器でプシュプシュと一羽ずつ自分たちで生ワクチンを打ったんですよ。でも、ワクチンの注射をしていないヒヨコがお祭りで売られていて、そこから病気が伝染したこともあって苦労しました。今はそういう苦労はなくなったけどね。今は県の畜産課が年に3回くらい採血して鶏を調べてくれています。もし1羽でも病気が出たら全部ダメになる、でも「調べて下さい」とお願いする、私たちはそういう覚悟で養鶏をやっています。
畜産農家は市内にたくさんありましたが今ではだいぶ減り、養鶏は6軒しかありません。この道50年、よくやってきたよね。ゲージを組み立てるのもカミさんと二人で夜中までやってね。うちの養鶏は今は3000羽くらいになっています。
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