郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第17話 その5 森 正さん
◆魚屋も肉屋もあった
千年に、末長屋さんという今でいうスーパーみたいなお店があって、お勝手で使うものは溝口に買いに行ったりしてました。久末の信号あたりに魚屋さんもありました。肉屋さんは巌川橋の近くにあって、竹の皮にお肉をのせてくれる売り方で、当時はグラムでなく、匁で買いました。
味噌も醤油も家で作って、今の高津区役所近くにある坂戸屋さんに麹を買いにいくが私の役目でした。
◆祭りにはお重詰めを運ぶ
このあたりの祭りは神輿も山車も無かったんです。昔から住んでいる人が少なかったから、神輿を担ぐにも人がいなくて作らなかったんじゃないかな。祭りの時期になると、「今日はお祭りだから」と母が重箱に煮しめとか赤飯などご馳走を詰めてくれて、それをその地域の親戚の家に持っていって一緒に食べた思い出があります。あちこちの祭りに母が作ったご馳走の入った重箱を自転車で運ぶのが、私の仕事でした。これはすごく楽しかったな。
◆地域の人のつながりにも変化が
近所では代が変わる時に、多くの家は相続で土地と屋敷まで手放さざるをえなくなってしまう、だから昔の家はほとんど無くなりました。怖い世の中だよね。
うちのところは子母口北町会で、私は町会長を20年やりました。連合町会も、社協もやりました。まわりの人がいい人だったから、できたんだと思うね。40〜50軒だった地域が今では1600件ほどになっています。だから町会に行ってもどこの家の嫁か、全然わからなくてね。
うちもこれからは孫が地域にもっと出ていってつながりを作っていかなくてはいけないね。昔からいる人と新しく移り住み始める人では考え方が違うこともあります。「町会は面倒」といって役を引き受けない人も増えているし…。
◆1年で大きく違う時代
妻はひとつ年上で、実家は橘樹神社の近くです。地域で青年団の活動を一緒にしていた仲間で、お節介焼きのおじいさんが「どうかな」と取り持ってまとまった…。だから、恋愛結婚ですよ。
青年団では社交ダンスを習ったりして、面白かったの。私の歳は、学徒動員は免れて行っていません。妻はひとつ上なので、軍需工場に勤労奉仕に行っています。1年違うだけで、大きく人生が変わった、そういう時代でした。
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