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公開日:2025.09.12
パラ水泳金メダリスト
成田さん、安らかに
多摩区出身 文化大使10期
パラリンピック競泳の金メダリストで、多摩区出身の成田真由美さんが、9月5日午前1時48分、同区内で亡くなった。享年55。市民文化大使を10期20年にわたり務めたほか、共生社会の推進などにも尽力した。日本パラ水泳連盟によると、病気で療養していた。
成田さんは1970年に多摩区に生まれ、生田小学校を82年度に卒業した。南生田中学校へ在学しているときに脊髄炎を発症して下半身まひになり、車いす生活となった。23歳のころに始めた水泳で頭角をあらわし、96年のアトランタを皮切りに、シドニー、アテネ、北京、リオデジャネイロ、東京と、パラリンピック6大会に出場。自由形、背泳ぎ、バタフライなど幅広い種目で世界の頂点に立ち、日本代表として、金15個を含む20個のメダルを獲得した。
95年に川崎市スポーツ賞、翌96年に第1号の市民栄誉賞を受賞。2005年からは市民文化大使を10期20年にわたって務めていた。15年から22年まで7年間、誰もが自分らしく暮らせる社会をつくる川崎市の運動「かわさきパラムーブメント推進フォーラム」の共同委員長を福田紀彦市長と共に務めた。福田市長は5日、「成田さんが語った『水泳が大嫌いだった』という過去から、『あきらめなければ前に進める。人間ってすごい』という在りし日の姿までの歩みは、まさに挑戦と成長の象徴であり、私を含め多くの市民に勇気と希望を与えてくれた」とコメントを発表した。
母校で講演も
生まれ育った多摩区を「生活しやすくて心地いいまち。車いすになっても地元のお店や近所の皆さんが温かく迎え入れてくれる」と愛した。西生田にある洋菓子店「モンタナ」には子どものころから慣れ親しんだ。
2021年、東京2020パラリンピックを最後に競技を引退したあとは、講演や解説活動にも精力的に取り組み、次世代育成などに尽力した。
23年9月には、母校である生田小学校の創立150周年を記念して高学年の児童らに向け講演。「失敗を恐れず夢や目標に向かって突き進んで。悲しいことがあっても一人で悩まずたくさんの人に相談して」とエールを送った。また、「人生には悲しいことよりうれしいことのほうがたくさんある」とし、「命は一つしかない大切なもの。このことを決して忘れないで」と呼びかけていた。
生田小の江良真一校長は「子どもたちに教えていただいた、目標に向かって進むことの大切さをこれからもつないでいきたい」と話した。
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