神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
中原区版 公開:2020年7月31日 エリアトップへ

戦後75年 特別企画 焼けた今井、戦争の無慈悲さ 中原区遺族会 伊藤文治さん

社会

公開:2020年7月31日

  • X
  • LINE
  • hatena
戦時中の体験を語った伊藤さん
戦時中の体験を語った伊藤さん

 中原区遺族会の会長を約40年務めた伊藤文治さん(89/今井仲町)。毎年10月に「英霊顕彰」としての追悼式を開催したり、会員それぞれが小学校で平和講演をするなど、戦争を風化させぬよう力を注いできた。終戦の日を前に、当時の体験について話を聞いた。

   ♢ ♢ ♢

 1930年、今井仲町の百姓家の三男として生まれた。現在の今井中学校一体が畑で、幼い頃から馬車馬のように働いた。41年に太平洋戦争が勃発すると長兄はすぐに徴兵。伊藤さんは父に連れられ、赤飯を炊いて、本隊まで面会に行った。これが兄との最後になった。

 中学1年になる頃、友人と神社の境内で遊んでいると、米軍の戦闘機が上空をかすめた。「死ぬかもしれない」。急いで縁の下に潜り込み、危機が去るのを待った。戦争は激しさを増し、43年には学徒動員令が発令。伊藤さんも日の丸のはちまきを付け、NECや三菱自動車の工場、時には茅ヶ崎まで陣地組みの応援に駆け付けた。45年4月15日、川崎に焼夷弾が降り注いだ日も茅ヶ崎にいた。「川崎が燃えているらしい」。電気機関車に乗って故郷へ急いだ。恐る恐る家へ戻り、家族の無事を確認したときは心底安堵した。だが今井全体を見渡せば、焼けた家が20軒以上。戦争の無慈悲さに言葉を失った。

 4カ月後に終戦。ほどなくして兄と同じ軍だった人が、兄の死を知らせに来た。終戦してもなお戦争は悲しみをもたらした。以降、兄を弔うため毎年靖国神社へ足を運んでいる。「今の平和は、多くの犠牲者と悲惨な時代を生き抜いた人々の努力があってこそ。決して平和を当たり前と思わず、生きてほしい」
 

中原区版のローカルニュース最新6

地域医療支援病院に

井田病院

地域医療支援病院に

紹介率など要件クリア

4月25日

50年の歴史 写真・動画で

50年の歴史 写真・動画で

中原市民館が募集

4月24日

下新城 2年ぶり優勝

下新城 2年ぶり優勝

中子連ドッヂボール大会

4月23日

精神疾患者 支援を考える

精神疾患者 支援を考える

5月14日 市総合自治会館

4月22日

子ども向け絵本講座

子ども向け絵本講座

5月、中原市民館で

4月20日

人口155万人を突破

川崎市

人口155万人を突破

政令自治体で6位の規模

4月19日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 4月19日0:00更新

  • 4月12日0:00更新

  • 4月5日0:00更新

中原区版のあっとほーむデスク一覧へ

コラム一覧へ

中原区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月25日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook