中原区 人物風土記
公開日:2023.03.31
川崎大空襲(1945年4月15日)の体験者で、今月川崎市平和館で講演を行った
小川 一夫さん
川崎区在住 92歳
信念貫き使命を果たす
○…78年が経とうとする今も、迫りくる火の中を両親と姉とで必死に逃げたあの日は忘れもしない。「地獄の光景を目に焼き付けている人はもう数少ない。ならば伝える使命があると」。初めて筆を執り臨んだ平和館での講演は、当時の感情が込み上げ、心が乱れ、思い通りに話せなかった。それでも聴衆の一人から原稿が欲しいと求められた。「何かを感じてもらえたならばうれしいね」
○…辺り一帯にまかれた焼夷弾は、自宅近くの稲毛神社を囲う瑞々しい生の巨木群ですら音を立てて燃やした。「木造の防空壕に隠れても無駄だ」。父の判断で自転車にリアカーをつなぎ、1キロ先の富士見公園へ逃げた。顔が焼けただれた女性を目にし衝撃を受けた。翌朝自宅に戻ると、家は柱一本残らず焼失。「大切な写真も思い出も消えたよ。あの日を境に同級生とも離れ離れ。それでも家族6人が戦後まで生き残ったのは、せめてもの救いだったかな」
○…脳梗塞を患い57歳の若さで他界した母がよく口にしていた「正直に生きなさい」。どんな時もこの言葉を信じて生きてきた。「不器用な息子を心配したんだろうね。正直さを貫けば、時に損をすることもあったけど、最後は人から信用されると思って」。長生きの秘訣は何でも食べること。それでも「さつまいもは苦手。戦中に配給された味がどうもね…」。そんな胃袋を支えてくれた妻と、2人の子、孫にも囲まれた、何気ない日々が何よりも幸せだ。
○…「鬼畜米英と叫んでいた人が、終戦後は一転、仲良くしなさいってね。周りに流されたり頭で考えるだけでは駄目。言いたいことは言わないと」。世界情勢を憂い、平和への願いを込め、語り部としての一歩を踏み出した息子の姿を、母が天から見守っている。
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