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中原区 社会

公開日:2024.01.05

ロシアとウクライナ
マトリョーシカでつなぐ
梅村さん「懸け橋目指す」

  • ロシア製(左)とウクライナ製のマトリョーシカを持つ梅村さん

  • 「ペトリキウカ塗り」の小物

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まって来月で2年――。戦争が長期化する中、両国からマトリョーシカを輸入している会社がある。川崎市多摩区にあるロシア雑貨店「VOLGA(ヴォルガ)」(梅村良恵代表)だ。

 梅村さんは東海大でロシア語を学び、モスクワ大に1年ほど留学。帰国後、国内のロシア専門商社に勤務した。「もっとロシア雑貨の魅力を世の中に広げたい。マトリョーシカは日本とロシアの懸け橋になる」。そう信じて2016年春に独立した。ロシアの伝統的なデザインを残しながら、日本人にも好まれるような自社オリジナル商品作りにも挑戦、販路を徐々に拡大していった。18年からは、マトリョーシカの形をしたガラス製の小物入れも製造。雑誌に取り上げられ、注目を集めた。花瓶など、ロシアのガラス製品も取り扱うようになった。

 コロナ前までは、ロシア人の職人を呼び、全国各地でワークショップも開催していた。コロナ禍で「おうち時間」が増えたこともあり、売上は順調に伸びていった。

取引が中止に

 梅村さんには、ウクライナ人とロシア人の友人が多くいた。その中にはウクライナに住むロシア人、ロシアに住むウクライナ人も。友人たちは「戦争なんて起こるわけない」と口をそろえた。だが、戦争は突如として始まった。世界的な反ロシア感情の高まりを受け、一部販売店との取引が中止となり、売上にも影響が出た。

「文化的にも近い」

 「マトリョーシカというとロシアのイメージが強い。でも、実はウクライナでも作られている伝統工芸品。それぐらい文化的に近い国同士なのに」と梅村さんは唇をかむ。何かできないのか――。侵攻後、ウクライナからマトリョーシカ輸入を決意する。

 現地に行くことはできず、電話交渉となった。22年4月に首都・キーウの北にある工場と電話がつながったが、職人たちはポーランドに避難している状況だった。空爆で主要駅も機能が停止していた。「いつ帰れるか分からない」。そう言われた。それでも、梅村さんは待ち続けた。

 6月に電話すると、行方不明になった人も多く、工場は稼働していなかった。それでも在庫のマトリョーシカ約50体を輸入することができた。販売店に送ると、ロシアとウクライナそれぞれの国で作られたマトリョーシカを一緒に並べ、平和を願うコーナーが設置された。約50体すべて売り切れたという。

 23年2月、侵攻後にウクライナで作られた約30体が届いた。梅村さんは、今も両国の工場と取引を続けている。ウクライナを代表する装飾芸術で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産に登録されている「ペトリキウカ塗り」の木製小物などの輸入も開始した。

複雑な思い抱え

 梅村さんは今後も両国から輸入を続けていくという。だが「ウクライナ人に、ロシアと取引をしていることは、まだ伝えていない」と複雑な思いを吐露する。ウクライナ人の友人はかつて、SNSをロシア語で投稿していた。侵攻後には、すべてがウクライナ語に変わり、意味が分かりにくくなった。

 梅村さんは「ウクライナ人が”完璧な”ロシア語で、ロシアに対する憎しみを語るのを聞いていると心が痛い。両国がまったく別の国のように日本では報道されるが、違和感がある。言語も文化も近い国」と述べた。「何十年先になるか分からないけれど」と前置きした上で「マトリョーシカで両国の懸け橋になりたいと思う」。強い決意で事業を継続していく。

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