柿生の農家に生まれ、大学卒業後は、高校の時から興味があったという農協(多摩農協)に就職。変革を重ねる組織の中で、さまざまな役職を経験した。市内4農協が合併して発足したJAセレサ川崎で、2007年に代表理事組合長に就任。トップとして、川崎市、地元麻生区の農業振興に携わってきた。
家業の畑を手伝い、山の中を駆けまわった少年時代。印象に残っているのは、麻生不動院のだるま市だ。学校が半日で終わり、家の前は横浜や町田、相模原から訪れる人たちの大行列。「まだ辺りは建物がないからその光景は圧巻だった。音楽がなったり、露店が出たりと楽しかった」と当時を振り返る。
社会人になってからは、地域の農業振興に奔走。農地を残すために、市街化調整区域を生産緑地に変更し、市内で麻生区に唯一の農業振興地域を設けるなど市とともに取り組んできた。黒川に直売所「セレサモス麻生店」を出店するなど、農家や地元の人のためにと農振地域の活性化に尽力。人と人のつながりに大事にしながら、歩んできた。
地域の特産である禅寺丸柿の保存会設立にも携わり、現在は川崎フロンターレの応援組織・アシストクラブの会長のほか、幼い頃に見た麻生不動院のだるま市では役員を務めるのも、地元を愛するがためだ。
発展を続ける一方で、高齢化が進む麻生区。「若い人たちが住みやすく、多世代が交流できるまちになっていってほしい」と今後のまちに期待を寄せる。都市農業は、農地や後継者の問題など課題も多い。「農家を残すためにも多くの人の理解が必要。地元の農産物が残るように望みたい」。農協出身、地元出身として今後もまちを支え続ける。
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