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柿生文化を読むの記事一覧

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    柿生文化を読む

    シリーズ「鶴見川流域の中世」県下最古の板碑〜寛元二年銘板碑等と御家人鴨志田氏について〜【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     鴨志田十郎と称する武士が源頼朝の御家人にいることが『吾妻鏡』に記されている。『吾妻鏡』建久元年(1190)十一月七日条の源頼朝上洛の先陣随兵八番に大...(続きを読む)

    10月8日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」県下最古の板碑〜寛元二年銘板碑等と御家人鴨志田氏について〜【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     横浜市青葉区鴨志田町字念仏堂の集合墓地に所在する寛元二年(1244)銘板碑は、神奈川県下で最古の板碑である。この板碑は埼玉県秩父地方に産する緑泥石片...(続きを読む)

    9月24日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」 板碑に刻まれた「主君」は武将か僧侶か―建長七年銘板碑から地域社会を考える―【3】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     横浜市南区宝生寺に伝来する典籍巻末には「書本云/以應済御本書了 章済/賜彼御本書了 慶範/文永二年〈乙丑〉閏四月廿六日於武州矢股也」の奥書がある。文...(続きを読む)

    9月17日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」 板碑に刻まれた「主君」は武将か僧侶か―建長七年銘板碑から地域社会を考える―【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     川崎市高津区久末町に所在する妙法寺には、川崎市内で最古の板碑である建長七年(1255)銘板碑がある。この板碑は神奈川県下でも二番目に古く、紀年銘・造...(続きを読む)

    9月3日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」 源頼朝の嫡男誕生に鳴弦の役を果たした師岡重経【3】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     鳴弦の役とは弓に張った弦を手や矢で弾いて鳴らし、発した音で悪霊・邪気を払う祈祷法で、平安時代、皇子誕生の湯浴の際に、前途の安寧を祝して漢書を読み鳴弦...(続きを読む)

    8月20日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」 源頼朝の嫡男誕生に鳴弦の役を果たした師岡重経【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     さて、師岡重経は秩父平氏河越流の一族とされているがそのことを記した系図は少ない。大正2年(1913)に刊行された渡辺世祐・八代国治共著『武蔵武士』で...(続きを読む)

    8月13日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」 源頼朝の嫡男誕生に鳴弦の役を果たした師岡重経【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     保元の乱の顛末を描いた『保元物語』には、源義朝に従った各地の武士の名前が列記されている。ことに武蔵国では武蔵七党と呼ばれた児玉、猪俣、村山、西などの...(続きを読む)

    8月6日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」 稲毛庄の定説を見直す〜稲毛庄と畠山氏の関わり【3】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     さて、渋口郷を畠山氏の庶子六郎重宗が本貫地とする事で井田郷・小田中郷・稲毛郷等の稲毛庄内の他の郷とは異なる歴史を刻むことになる。南北朝時代から戦国時...(続きを読む)

    7月23日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」 稲毛庄の定説を見直す〜稲毛庄と畠山氏の関わり【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     畠山重忠滅亡後に重忠の側近である本田近常の子孫は薩摩島津氏の被官化している。この本田氏を介して畠山氏に関する精度の高い情報が薩摩国に伝わった可能性が...(続きを読む)

    7月16日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」 稲毛庄の定説を見直す〜稲毛庄と畠山氏の関わり【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     稲毛庄の地頭は稲毛重成であると言われるが、それを証拠だてる史料は存在しない。一般的に地名と名字が一致している事から稲毛重成を地頭としている。この他に...(続きを読む)

    7月9日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」高名の馬飼 都筑経家とその一族【3】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     建治元年(1275)に記された「六条八幡宮造営注文」には鎌倉中御家人として都筑民部大夫跡5貫文、都筑右衛門尉跡5貫文、都筑左衛門入道3貫文がある。都...(続きを読む)

    6月25日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」高名の馬飼 都筑経家とその一族【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     都筑氏に関してはこの他に『源平盛衰記』小坪合戦の事には畠山重忠の郎等である綴(つづき)太郎が見え、『平家物語』巻第九坂落には都筑党が記されているが都...(続きを読む)

    6月18日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」高名の馬飼 都筑経家とその一族【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     源頼朝の御家人に都筑郡の郡名を苗字とした都筑平太経家とい う武士がいた。経家は高名の馬乗・馬飼であったが、平家家人として源頼朝に敵対したために、囚人...(続きを読む)

    6月4日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」謎の深い前滝口榎下重兼たち【4】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     横浜線の中山駅の北西1Kmには中世城郭の榎下城跡があり、恩田川沿いの沖積地には観護寺がある。城址西側に位置する神明神社脇の道は「鎌倉道」と言われてい...(続きを読む)

    5月28日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」謎の深い前滝口榎下重兼たち【3】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     榎下重兼は天皇近侍の武力である滝口に任じられている事から相当な武士である。榎下重兼はどこの武士であろうか。地名と人名で調べてみた。安田義定の根拠地で...(続きを読む)

    5月21日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」謎の深い前滝口榎下重兼たち【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     榎下重兼らが一味同心した甲斐源氏の安田義定とは、いかなる人物なのか見ることにしよう。義定ら甲斐源氏は源頼朝の挙兵と前後して挙兵して、富士川の戦いでは...(続きを読む)

    5月14日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」謎の深い前滝口榎下重兼たち【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     10年ほど前に京都在住の中世史研究者N氏から手紙をいただいた事があった。N氏は中世武士団研究に貴族の日記を活用する手法で目覚ましい業績をあげていた。...(続きを読む)

    5月7日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」源平の争乱を生き抜いた武士 小山田有重【2】 文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     有重は源家の家人であったが、平治元年(1159)の平治の乱で源義朝が討たれ、武蔵国が平清盛の知行国になると平家の家人になった。...(続きを読む)

    4月23日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」源平の争乱を生き抜いた武士 小山田有重【1】 文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     小山田別当有重は鶴見川源流部の小山田庄(保)を本拠として、治承・寿永の内乱(源平の争乱)を生き抜いた武士である。有重は源家の家人から平家の家人になり...(続きを読む)

    4月16日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」多くの武士が割拠した鶴見川流域【3】 文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     武士が入れ替わる背景には、鶴見川流域が武家の都「鎌倉」、江戸幕府の都「江戸」の後背地であるという事情と密接に結びついている。「鎌倉の主」や徳川将軍家...(続きを読む)

    4月2日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」多くの武士が割拠した鶴見川流域【2】 文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     さて、鶴見川流域にもどって武士を見てみると、小山田(小山田庄・保)・加世(賀勢庄)を除くと庄園を名字とする武士は見られない。他は国衙領である郷を名字...(続きを読む)

    3月26日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」多くの武士が割拠した鶴見川流域【1】 文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     鶴見川流域に盤踞した武士たちを見てみよう。流域では小机六郎基家と名乗る人物が「桓武平氏諸流系図」に見えるのが、文字資料に現れた最初の武士であろう。基...(続きを読む)

    3月12日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【6】 「鶴見寺尾絵図2」【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     鎌倉幕府滅亡後、全国で後醍醐天皇が親政する建武政権への不満を持つ勢力の蜂起が相次いだ。その中で建武2年(1335)には北条高時の遺児時行が諏訪頼重に...(続きを読む)

    2月26日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【6】 「鶴見寺尾絵図2」【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     鶴見郷については「鶴見寺尾絵図」の他に数点の史料が残されている。鶴見が史料に現れるのは、元久2(1205)年に畠山重忠が討取られた二俣川合戦に参陣し...(続きを読む)

    1月8日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【5】 「鶴見寺尾絵図」【3】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     40 年前に明治大学の高島緑雄先生の鶴見寺尾郷調査に同行させてもらって以来、幾度も足を運んでいるがそのなかで印象に残った所を挙げてみたい。絵図にある...(続きを読む)

    11月27日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【5】 「鶴見寺尾絵図」【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     絵図上方には寺尾地頭阿波國守護小笠原蔵人太郎入道、同じく上方右側には師岡給主但馬次郎、右側の鶴見川付近には末吉領主三嶋東大夫とある。小笠原蔵人太郎入...(続きを読む)

    11月13日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【5】 「鶴見寺尾絵図」【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     神奈川県立金沢文庫の展示室を入ると正面に墨と朱色で描かれた「鶴見寺尾絵図」が掛っている。この絵図は南北朝時代の鶴見川下流域の様子を描く極めて貴重な絵...(続きを読む)

    10月30日号

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    シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【4】―2 文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

     江戸氏と多摩川右岸との関わりは、南北朝期に入ると文献にあらわれる。文和4(1355)年、江戸彌七が太田渋子郷(多摩区長尾・宮前区神木本町・神木・平・...(続きを読む)

    10月16日号

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