昨年から再整備が行われていた、京急線八丁畷駅横の「無縁塚」が完成し9日、完工記念式典が行われた。関係者は「川崎宿の新たな観光名所としてアピールしたい」と意気込む。
無縁塚は1934年、八丁畷駅付近で発見された江戸時代の人骨を供養するため、市と下並木町会が建立した。江戸時代の川崎宿では震災や洪水、疫病等で命を落とした人が多くいたという。建立以来80年以上の間、地域住民らが毎年5月に供養祭を行い見守り続けてきた。
07年には「かわさき区の宝物」に選定され、旧東海道を学びながら歩く歴史ウォーキングの人気が高まるにつれて、無縁塚が注目される機会が増えたことから整備案が浮上。下並木町会のメンバーを中心とした「無縁塚整備の会」(瀧浪誠代表)と「川崎西部まちづくりクラブ」(大蔵明男代表)が整備に取り組んできた。「供養を続けてきた町会の人達の思いを次世代へ繋げていくためにも、綺麗に整備をして守っていかなければ」と、同整備の会の石渡稔也副代表は話す。
完成した無縁塚は43・87平方メートルの敷地にコンクリートと砂利を敷き、築山風の緑もあしらった。以前は雑草が生え、囲いの中にあったが、歩道との境にあった柵を取り払って慰霊塔の背景に竹素材の柵も設け、開放感のある造りに仕上げた。瀧浪代表は「以前は暗くて入りにくかったと思う。オープンで明るい雰囲気になったことで、道行く人が気軽に手を合わせてもらえるようになればうれしい」と話す。
市観光協会の斎藤文夫会長は「新しい名所ができた。きっと大きな話題になると思う」と、観光スポットとしての期待感を示す。川崎区によると、かつての宿場町は六郷橋から小川町付近までであったため、資料館の開館や解説板の設置といった東海道に関する整備は、主に川崎駅前を中心に行われてきた。八丁畷は宿場町からは外れるが、川崎宿にとらわれず「川崎の東海道」としてクローズアップしていきたいという意向と、地域住民の「八丁畷にも光を」という思いが重なった。無縁塚からほど近い、鶴見との市境にかつて架かっていたという「夫婦橋」の解説板も先月末に設置されたことから、今後は八丁畷駅近くの「芭蕉の句碑」と合わせて魅力を発信したい考えだ。
無縁塚の土地は京急電鉄が所有していることから、同社は「維持管理のため、駅スタッフもできる限り協力したい」という。「無縁塚整備の会」は、今後は「無縁塚保存の会」に引き継ぎ、普及に努めていくという。
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