江戸時代から200年以上にわたって、地域住民によって受け継がれ、育てられてきた「上溝夏祭り」。祭神は、京都府の八坂神社より厄病などの災厄からのがれるために祭る行疫神「牛頭天王」を勧請した(分身・分霊を移して祭った)と伝えられ、古くは「天王祭り」として、毎年必ず7月27日と28日に行われていた。地元の人たちはこの祭りを「てんのうさま」と呼び、牛頭天王の御霊を宿した神輿を渡御することで、厄病神退散、五穀豊穣、家内安全を祈願した。
各地区に現存する神輿の製作年や改修などの記録から、江戸時代末期から明治維新の頃にかけて盛んになったと言われている祭り。各地区にある神輿の中で最も古いとされるのは、1809(文化6)年の記録が残る五部会のもので、1845(弘化2)年の四ツ谷、1852年(嘉永5)年の石橋と続く。百数十年前の神輿が現存するのは、祭りの伝統が住民の手によって守られてきた証だろう。
明治時代になると、政府の方針で、各地区の神輿を八坂大神が祭られている亀ヶ池八幡宮に集めることで、神社の祭りとされた。しかし終戦後、GHQの占領政策によって、亀ヶ池八幡宮に集結し、お祓いを受けることが禁止されてしまう。そこで、当時の地域の青年団が中心となって打ち出した方針によって、これまで亀ヶ池八幡宮に集まっていた神輿と山車を旧相模原警察署(現在の上溝本町交差点付近)に場所を変えて集まるようにし、その後、上溝商店街を練り歩く現在の形になったという。
時代とともに形を変えながらも受け継がれてきた地元の祭り。「親父の世代は、白装束で化粧もして神輿を担いでいたみたい」「一時期は神輿の担ぎ手がいなくて他の地域から人を呼んでいたこともあるらしい」「昔はよく提灯が燃えていた」など地元の人によって様々なエピソードが語られるのも歴史ある上溝夏祭りだからこそ。週末はそんな時の流れに思いを馳せてみるのも良いかもしれない。
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