さがみはら緑区 社会
公開日:2025.08.07
戦争はやるべきではない
橋本在住 原照司さん(88)
「1日も早く世界の戦争を終わらせ、平和に暮らせる世の中になってほしいね」。
そう話すのは橋本在住の原照司さん(88)。原さんは1937年生まれ。4歳の時に太平洋戦争が始まった。「八王子の大空襲の事は覚えている。B29が富士山を目標に飛んできて、東京方面に向きを変えた。この日は晴れていてB29が頭上を群れで飛んで行った」と話す。続けて「橋本に爆撃は無かったけど、夜に八王子の方を見ると真っ赤に染まっているのが見えた」と子どもの時の記憶を呼び起こす。
当時、橋本には鉄製の火の見やぐらがあったそうで、空襲警報が出されるとそこで半鐘を叩いて人々に知らせた。橋本には山が無かったので人々は庭などを掘り、自分たちで作った防空壕に身を潜めた。
しかし、戦争が進むにつれ、その火の見やぐらも金属供出で無くなってしまったという。それ以降は柿の木に半鐘をつるし、警報が出るとそこで鐘を鳴らした。「あのまま終戦を迎えなければ、自分も兵隊になるんだろうなという雰囲気はあったと思う。兵隊になっていく皆さんを見ていたから。どこかに勤めにいくのと同じような感じかな」と思い返す。
原さんが子どもの頃の橋本については、「この辺は養蚕が盛んだった。水田がないから酒まんじゅうやサツマイモ、うどんなんかを食べていたね」と振り返る。戦時中は家が農家だったこともあり、食料は何とか維持できたという。終戦を迎えたのは8歳の時だった。旭小に通っていた原さんは旭中、相原高校を卒業。その後、教師を経て建設会社に勤めた。
戦争について振り返ると「直接被害を受けた事は無かったし、食べるものもなんとか維持できた。そばに交番もあったから治安も悪くなかった。ただ、戦時中は子どもだったけど遊びには行けなかった。とにかく勤労奉仕。農業を一生懸命にやったね」と振り返る。
「戦争はやるべきではない。生活が大変だったというのは感じてきている。近頃の空爆のニュースを見てもすぐに復興できるものではなく、生活もできなくなる。我々がどうこう言うことでは無いかもしれないけれども、1日も早く終わらせて平和に暮らせるような世の中になってほしい」
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