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八王子版 公開:2022年2月3日 エリアトップへ

町の歴史について 八王子市川口郷土史研究会 五味元

文化

公開:2022年2月3日

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武蔵国多磨郡小宮領川口村区分絵図(寛保元年十月)
武蔵国多磨郡小宮領川口村区分絵図(寛保元年十月)

上川と川口

 昭和30年(1955)、川口村が八王子市に合併するまでは、川口村の大字として、上川口、下川口と呼ばれていました。合併後は上川口が上川町、下川口が川口町となりました。その前の江戸時代は上川口村、下川口村と呼ばれていましたが、それは村が余りにも大きいための便宜的な区分けで、村を治める代官は一人、村の正式な呼称は川口村でした。

 寛保元年(1741)に川口村を治める代官所の上坂安左衛門が作成した川口村区分絵図が奇跡的に下川口村名主の小谷田甚吾兵衛宅で見つかり、その詳細が明らかになりました。

秋川街道

 八王子市に合併される前は、五日市街道と呼ばれていました。本郷横丁で甲州街道と別れ、武蔵五日市駅まで伸びる1級都道でした。地元では便宜的に川口街道と呼ばれ、江戸時代には八王子に向かう場合に八王子道、八王子から今熊神社に参拝する場合は今熊道などとも呼ばれました。

 八王子市内との交通が大きく開けたきっかけは明治10年(1877)、上中野に製糸工場を作って財を成した萩原彦七が木造の橋を完成させたのが始まりです。その後の生糸不況で萩原彦七は経営が破綻し、工場を長野の片倉製糸に売り渡しますが、彦七の作った萩原橋の呼称は残りました。工場は片倉の経営になりましが、生糸の生産は継続しました。

 大正11年(1922)、五日市への難所、小峰峠にトンネルが完成し、五日市八王子間のバス路線やトラック輸送も始まりました。五日市と八王子を結ぶバスは五王自動車が経営しました。今の西東京バスの前身の一つでした。これによって、今の秋川街道の原型が出来上がりました。

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