八王子 社会
公開日:2025.07.10
列車銃撃を語り継ぐ
40年にわたる調査と慰霊
太平洋戦争末期に八王子市裏高尾町にある湯(い)の花トンネルで発生した列車銃撃空襲から今年で80年。年々当時を知る人が少なくなる一方で今年になって新たな犠牲者の身元が判明するなど、事件の全容解明に向けた動きが今なお進む。40年にわたり犠牲者の調査や慰霊を続けている「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」の齊藤勉会長(67)に話を聞いた。
1945(昭和20)年8月5日、新宿を出発した列車は長野へ向かっていた。3日前の八王子空襲で不通になっていた中央本線再開後初の中距離列車ということもあり、車内は乗客でごった返していた。列車が湯の花トンネルに差しかかった午後0時20分頃、東の空から米軍機4機が飛来して列車に繰り返し機銃掃射を浴びせ、この銃撃で乗客133人が負傷し、52人以上が亡くなった。多くの犠牲者が出た事件だが、戦時下の情報統制もあり、身元がわからないまま葬られた遺体も少なくなかった。
この惨劇から40年の節目を迎える頃、市の戦災調査をきっかけに同会が発足した。当時の記録から犠牲者の身元の特定を進める一方で、事件発生日には毎年、遺族らを招いた慰霊の集いを開催。その模様をメディアが報じると全国から情報が寄せられた。これまでに50人の身元が判明し、慰霊碑に名前が刻まれている。齊藤会長は「遺族や会員が高齢化し、いつか活動をやめる時が来ると思っていたが、初めて訪れる遺族や事件に興味を持った若い人などが毎年必ず現れる。自分の体が保つ限り、種をまき続けたい」と使命感を新たにする。
齊藤会長は41年前、市教育委員会の非常勤職員として八王子の戦災資料編纂に携わり、その際に初めて湯の花トンネル列車銃撃や八王子空襲について知った。共に編纂作業にあたった細川武雄さんが後に慰霊の会を立ち上げると、働きながらその活動を支えた。細川さんが亡くなった30年前にその意思を引き継ぎ、現在まで会長を務める。これまでに取材した遺族や関係者は3桁にのぼる。「その人が生きた証を残したいと皆さんが話を聞かせてくれる。自分にできるのはそれを記録し、伝えていくことだけ」
齊藤会長は「戦争は始めてしまえば憎しみやメンツから簡単にはやめられなくなる。湯の花トンネルのような悲劇を繰り返さないためにも、みんなが想像力を働かせて戦争を始めない強い意志をもってほしい」と願う。
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