八王子 社会
公開日:2025.07.24
八王子空襲、母の死
奇跡の命拾いの意味
八王子空襲の日、焼夷弾が直撃しても生き延びた平野一男さん(81)。当時1歳10カ月だった1945年8月2日。記憶はないが、2人の姉に繰り返し聞かされた当日の母の話だ。
平野さんは恩方村で生まれ、今も恩方で暮らしている。空襲当日の恩方の夜は暑かった。平野さんの母・キクさんはそんな暑い日でも、白いネル生地で出来た手作りの着物を1歳の平野さんに着せて背中におぶい、その上からネンネコ半纏を羽織って家の前に掘った大きな防空壕へと向かった。キクさんは家族が防空壕の奥の方へ入っても、自分はなぜか中に入らなかった。その内、防空壕の入り口付近に落ちてきた焼夷弾が平野さんをおぶったキクさんに直撃してしまう。
家族がおろおろする間に消防団として見回りに出ていた父が帰って来た。すぐに腰に差していた鞘なたでおんぶ紐を切り平野さんを引きはがすと、そのまま長女に背負わせた。父がキクさんを背負い、土手の横穴まで連れて行った。次女のシゲ子さんは「父の消防半纏の背中は血だらけだった」と振り返っている。
横穴にいた知り合いの女性に、横たわるキクさんが「お腹が痛い」と言うと女性は母の手を握り「おキクさん、しっかり、しっかり」と涙をこぼしながら手を握った。するとキクさんは「私はお腹の臓腑が飛び出したので、もう助かりませんから、一男を頼みます」とはっきり告げたという。気丈な祖母がぼうふらのわく防火用水の水を汲んできて「末期の水だ」と言ってキクさんに飲ませると「おいしい」と言い最期に「一男を頼む」と息を引き取ったという。
平野さん自身は母のおもかげも知らぬまま育った。小学生の頃、同級生から突然に「私とあなたはきょうだいなのよ」と言われ「はじめは意味が分からなかった」という。よくよく聞いてみると、食糧もなく飲み水にも困っていた空襲直後、母乳の出る近所の女性にお乳を飲ませてもらっていたのが同級生の母だったのだ。
「自分は周りの人に本当に恵まれた。戦争はやっちゃだめだね。もし、母に会えるなら、人様に迷惑かけないように、自分で思えた通りやってきたよって言いたいね」と平野さん。
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