江戸時代初期には建立されていたとされる「落合白山神社」(落合2の2の1)。同神社の拝殿は、多摩ニュータウンの開発によって1983年(昭和58年)に建て替えられた。その建て替え前の拝殿の一部がこのほど見つかり、約30年ぶりに同神社に帰ってきた。パルテノン多摩で同神社に関わる企画展を開催していたことがきっかけとなって見つかった旧拝殿の部材。同神社の筆頭総代・須藤起雄さんは「すでにないと思っていた旧拝殿の部材がみつかり、驚いている」と話し、パルテノン多摩では「歴史的に価値がある」と話している。
「落合白山神社」は、石川県石川郡鶴来町に総本社があり、全国で3千余りある白山神社の一社。建立された時期について明確な資料はないものの、残された棟札によると江戸時代初期にはすでに建立されていたという。1927年(昭和2年)には亜鉛葺きの屋根に改修されており、拝殿は、多摩ニュータウンの開発によって1983年に建て替えられた。
パルテノン多摩では、その屋根の改修を手掛けた地元の宮大工・中田弥吉が使用していた大工道具や型板、掛け軸、巻物等を展示し、残された古文書や棟札から、落合白山神社の旧拝殿の変遷を探る企画展を6月13日まで開催していた。
その企画展期間中に、八王子市で設計事務所を主宰し、新拝殿を設計した小町和義さんが偶然同神社を訪問。パルテノン多摩で企画展が開催されていることを知り、見学に訪れた。そこで「旧拝殿の解体時にその一部を譲り受けて保管している」と、パルテノン多摩の学芸員・橋場万里子さんに申し出があり、同企画展で展示することになった。展示終了後には、小町さんの意向により、同神社に返却されることが決まった。
3点の部材が神社に
小町さんが保管していた旧拝殿の部材は、障子や欄間の骨組を方形に組む「升組」、梁や桁の上に置かれ上部構造を支える他、装飾的役割のある「蟇股」、柱の外側に突出した装飾の「木鼻」の3点。
その3点が6月19日に同神社へと返却された。約30年ぶりに帰ってきた旧拝殿の部材を手にした筆頭総代・須藤起雄さんは「まさか旧拝殿の部材が残っているとは思っていなかったので驚いている。小町さんのご好意に感謝している。小町さんが偶然神社に来た時に、パルテノン多摩で企画展が開催されていなければ、これらの部材が見つかることはなかった。パルテノン多摩にも、学芸員の橋場さんにも感謝している」と笑顔で話す。
パルテノン多摩の学芸員・橋場さんは「すでに廃棄処分されたと思っていた旧拝殿の部材が残っていたのは貴重。この部材が時代的にいつのものかは正確にはわからないが、少なくとも歴史的価値はあると思う」と話している。
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