東京2020パラリンピックの自転車ロードレースで2つの金メダルを獲得した杉浦佳子選手の練習コースとして桜ヶ丘の「いろは坂」がサイクリストの間で話題を集めているようだ。60年前に行われた京王電鉄の前身、京王帝都電鉄の開発と時を同じくして生まれた約700mの「つづら折り」の坂は、ジブリ映画の舞台として注目されるようになるなど、現在は多摩市の観光推進の役割を担うようになっている。
2種目を制し、「50歳。最年長記録はまたつくれます」と語った杉浦選手。現在は稲城市在住であるものの、数年前までは多摩に住み、自転車仲間といろは坂で練習に明け暮れていた時期があったという。
同じくいろは坂で練習を積むサイクリストの中山沢さんは「こんなつづら折りで登れる坂は近所では他に無く、傾斜が一定でないだけに、それぞれの坂の角度に応じた走り方の練習ができる貴重な練習場なんです」と話す。
中山さんによると、杉浦さんや自転車の実業団チームなどがいろは坂で練習を始めたのはおよそ6年前。それは平日の練習場として現在も定着しているものと言い、そのなかでは2列にならないように練習するなど周辺住民に迷惑をかけないためのルールをつくってきたという。
「時にはみんなで坂の清掃活動にあたるなど坂を使わせて頂くという意識をもって、自転車に乗ってきました」
ジブリ映画で舞台に
一方で、いろは坂を全国的に有名にしたのが、1995年公開のジブリ映画「耳をすませば」だ。
監督の宮崎駿さんが多摩市内にあるアニメーション制作会社に勤務していたことなどから、アニメの舞台に聖蹟地区が含まれたといわれ、公開後はファンが映画にも「登場した」いろは坂を訪れるように。地元の商店会らも「耳すま」の関連企画をいろは坂周辺で行うなど、訪れる人々を歓迎した。
坂に近い聖蹟桜ヶ丘駅周辺の店舗などで構成される桜ヶ丘商店会連合会の飯島聖士会長は「坂は住宅街にあるので住民に迷惑がかからないように企画などを行ってきた。坂のおかげで多くの方が聖蹟へやってきてくれるようになった。街の盛上げ役だよ」と笑顔をみせる。
誕生は1960年代
いろは坂が生まれたのは1960年代までさかのぼる。
京王電鉄の前身、京王帝都電鉄が当時、現在の桜ヶ丘地域を高級住宅地に、と開発を始めたなか生まれたもののようだ。坂の近くに住む三橋誠さんは「元々はただの登るのがきつい坂だったのに。こんなに有名になるとは当時は思いもつかなかったですよ」と苦笑いし、飯島会長は「今後は我々地域住民が坂の景観を守るなど、いろは坂ファンの皆さんを落胆させることのないようにしていきたい」と話している。
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