海老名市文化会館で4月30日に、作詩した歌を披露する 平澤 共子さん 杉久保南在住 87歳
音楽とともに人生を歩む
○…自身の経験を通して伝えたい思いを作詞し、自ら舞台にあがる87歳。体験した平塚大空襲や、その時願った平和への思い、また人生を通して生命と自分らしさの大切さを歌に乗せた2曲を披露する。「最近は声が出なくなってきて、年齢的にも身体的にも、きっとこれが最後の舞台ですね」と自分自身を鼓舞する。
○…1932年に東京で生まれ、幼い頃から音楽好きな父の影響により家の中にはいつも音が溢れていた。疎開のため、大磯に移住し暮らしていた小学4年時、空襲の被害を受けた近隣市の痛ましい様子や、家に帰ってこない父を心配し、不安が消えない当時の記憶が今回の詩に託されている。戦後は音楽教師として教鞭を振るい、合唱コンクールで好成績を収めるなど「熱心な先生」として生徒たちから愛された。
○…海老名にきたのは結婚後。「今もそうだけど、緑が多いこの景色が本当に気に入っているの」と杉久保へ。医師の夫とともに医療過疎地域だったこの地に医院を開業。仕事を手伝う一方で、ピアノ教室や合唱団の設立など地域活動も行い、当時”東洋一”と呼ばれた海老名市文化会館小ホールの建設には、1万人の署名を中心になって集めるなど、海老名の音楽文化発展にも大きく貢献した。「あの頃は厚木にしか小ホールが無くてね。クラシック演奏が海老名で行われる事もなく不便だったの。そういう場が近くに欲しかっただけなのよ」と冗談めかす。
○…モットーは「一生学び続ける事」。今も最先端の音楽に触れるなど、その意欲は衰える事は無い。取材中にも様々な歌を披露してくれ、歌を通して心の思いが伝わってくる。「芸術は人を感動させてくれる。私は音楽、夫は絵でしたね」と、最愛の夫の作品を眺めながら胸の内を語っていた。
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