東日本大震災の翌日、子どもたちが作った募金箱が海老名の駄菓子屋に置かれた。あれから10年、この募金箱は当時のまま、おつりを募金する子どもたちの善意が受け継がれている。募金総額は3万4060円。寄付先の南三陸町との交流も続いている。
大谷南の写真スタジオ「オヤマ写真」の一角で駄菓子を売る尾山郁夫さん(79)は、震災直後「何かできることを」と募金箱の設置を決めた。
当時店に通っていた照井紗佳さん(当時杉久保小6年)と尾山京香さん(当時大谷中1年)が箱づくりをかってでた。
駄菓子の空き箱でつくった募金箱が置かれると、子どもたちがおつりを募金するようになった。1回の額は10円以下がほとんどだったが、7月半ばまでに6700円ほどになった。
同じころ、南三陸で親戚を亡くした知人が法要で帰省すると聞いた尾山さんは、この知人に募金を託した。それが南三陸町の佐藤仁町長に手渡されると、後日、尾山さんのもとに佐藤町長から直筆の手紙が届いた。宛名の横には「良いこの皆さんへ」と書かれ、子どもたちへの感謝と励ましの言葉が添えられていた。それ以来、南三陸との交流が続いている。
「おつり募金」は10年を迎え、総額は3万4060円になった。大谷地区で盆踊りなどを主催する「真鯨親睦会」(杉浦定雄代表)も募金に協力。催事の会場に募金箱を置き、これまでに「おつり募金」に付け加える形で18万円を寄付している。南三陸町志津川地区の海産物を催事で販売し、収益の一部を寄付する活動も行ってきた。
震災から10年が経ち、震災を経験していない子どもも増えてきた。尾山さんが募金を呼びかけることは一切なく、募金額も減少している。それでも「あまったから」とさりげなく善意を寄せる子どもは、どの年代にもいるのだという。
町長と電話
尾山さんは南三陸を訪れたことがなく、10年目となる今年は直接募金を届ける計画を立てていたが、コロナ禍で断念。代わりに今月1日に佐藤町長に電話で思いを伝えた。尾山さんが「今後も微力ながら協力したい。落ち着いたら南三陸に行きたい」と伝えると、佐藤町長から「ありがとうございます。南三陸で待っています」と言葉をかけられたという。
尾山さんは東日本大震災からの10年を振り返り「子どもたちの温かい気持ちと、町長の復興への強い思いに心打たれて続けてきた。10年はあっという間。やってきてよかった」と話していた。
|
|
|
|
|
|
<PR>
海老名・座間・綾瀬版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
<PR>