座間市で戦争をテーマにした紙芝居「芹沢のほら穴」を上演した 兼田 智子さん 座間市相武台在住 91歳
励ましを胸に、熱演
○…紙芝居の舞台は、芹沢公園に今も残る地下壕「高座海軍工廠(こうしょう)」。戦闘機を製造していたとも言われ、ここで働いていた台湾の少年工と、戦争で息子を亡くした母親との交流を描いた。手描きの絵をめくると、裏には何度も上書きして推敲した跡。本番に備えコンディションを整え、風呂場で発声練習を重ねた。毎日のストレッチのおかげで、開脚すれば上半身がぺたりと床につく。
○…岐阜県高山市出身。小さい頃に芝居小屋に連れて行ってもらった影響もあり中学では演劇部に入った。当時は戦時中で食べ物も乏しく「私は芋で育ったようなもの」と目を細める。夜は空襲を防ぐため家の照明を布で包んでいたが、玉音放送のあった8月15日の晩は、家族が家中の明かりを点けた。時代の節目のような光景も紙芝居の一枚になっている。
○…結婚後に東京から移住した相武台はまだ森が広がり、今の住宅街とは違う光景だった。子育てがひと段落した頃に交通指導員になり、好きな演劇で交通安全を伝えようと、脚本を書いて仲間と劇団を旗揚げ。それからの歩みだけで1冊の本が書けそうだが、以来36年間にわたり小学校や幼稚園をまわって上演した。「800回以上はやったかな」と、さらりと語る。「命の大切さを伝えたい」という思いが原動力だった。
○…紙芝居づくりは夫・儀明さん(故人)の存在なしには語れない。特攻隊に配属された経験があり、戦争の体験談や史料をさりげなく手渡してくれた。「穂高稔」として水戸黄門や暴れん坊将軍などに出演したベテラン俳優だった。「自信がなかった私の紙芝居を見て『いいね、いいね』って」。自宅の壁には儀明さんとの写真がいくつも。言葉にならない励ましに囲まれている。
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