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公開日:2016.05.13

「東部地域の歴史、知って」
市教委 報告書で初の試み

  • 報告書を手にする太田会長(左)と市職員

 市教育委員会はこのほど、相模が丘や小松原など市内東部の歴史をまとめた調査報告書「相模野台地の開拓と発展」を刊行した。これまで西部を取り上げる出版物は多かったが、東部に焦点を当てたものは初。調査・執筆した市民団体・座間ふるさとガイドの会の太田司郎会長は「近現代における座間の発展を担った地域。その重要性を知ってほしい」と呼びかけている。

市民団体が調査・執筆

 市教委によると、相模川沿いの地域には石器時代から人が住んでいた跡が残っている。古代・中世においても交通の要所だったとされ、江戸時代初期には「座間宿」が設けられるなど古くから発展していた。その一方で、広大な台地(=相模野台地)が広がっていた東部は明治時代に開拓されるまで、人が住まない場所だった。

 報告書は、市内の古街道沿いに「道標」を設置する事業の一環として製作。市主催の文化財巡りでガイド役を務め、文化財マップを作成したこともある同会に調査を委託した。

 同会では約2年かけてフィールドワークを実施。西部から東部へ抜けていた街道を実際に歩くなどして調査を重ねた。市が発行する各種資料も調べ、台地の発展についてまとめた。これらを市教委が整理・編集して完成させた。

生活に不可欠な秣場

 太田会長によると相模野台地は水に乏しく農業地には適していなかったが、江戸時代には生活に欠かせない葦や薪などを採取する「秣場(まぐさば)」として活用された。相模川周辺に住む村民たちは荷車を曳いて台地まで通い、肥料や燃料になる植物を確保していたそうだ。

 報告書では秣場の重要性に始まり、そこに至るまでに使われていた道筋、開拓の様子などを紹介している。また、第二次大戦中に造られた「高座海軍工廠」、戦後の食糧増産のため実施された「畑地灌漑(かんがい)事業」などが盛り込まれており、発展の様子を伺い知れる構成になっている。さらに、5つの街道の歴史も網羅した。

 A4サイズで、41頁構成。市役所1階市民情報コーナー、市公民館、北・東地区文化センターで販売されている(税込580円)。同コーナーで閲覧可能。

 太田会長は「初の試みということでまとめるのに苦労しました」と振り返り、「現在の人口分布を見ても、台地の発展は市に大きな影響を与えている」とコメント。市担当者は「市民の方が、東部地域の歴史に興味を持ち、学習する契機になれば」と期待している。問合せ市生涯学習課【電話】046・252・8431。

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